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従兄の話

 2003年7月25日、従兄が44歳で他界した。祖母を見送ってわずか2年半後。祖母の半分の年齢だった。病名は、『肺硝子化肉芽腫』。1千万人に1人という難病。肺病専門の大きな病院でも、長い歴史の中でわずが10例。自分の抗体が、肺の組織を攻撃していくみたいな感じの病気らしい。もちろん、原因不明だし、かかったら最後、治らないし、進行も止められない。余命宣告5年を受けたときには覚悟をしていたけれど、やりきれない思いは変わらない。15歳以上離れてかわいがってもらった記憶があるから。
 薬は向精神薬であるステロイド。筋肉増強剤などで代表的な薬。その薬を一日30錠飲んで、体に自分は元気だと錯覚させることと、試しにこの薬を使ってみようというような治療法しかできなかったみたい。当然、副作用がある。お見舞いに行ったときには、「フルマラソンを走れそうやけど、5日以上眠ってない」と言ってたこともある。ステロイドの乱用の怖さを思い知らされた。それでも、進行は続いて、その症状を見せ付けられたのは祖母のお通夜とお葬式の時。ステロイドも効かなくなって、医者がお手上げ状態のときだったと思う。喪服に着替えるのに一時間近く、わずか3メートル先にあるお焼香にも行けない。夜眠る姿はあぐらで、首が痛くなるから30分ぐらいしか熟睡できない。棺おけに入った祖母をみるよりも、従兄を見てるほうが辛かった思い出がある。その何日か後の祖母の納骨のときが従兄に会った最後だった。
 亡くなる前の2年間は、免疫が全くなくなって、下手に風邪の菌を運ぶといけないので、お見舞いにも行けなかった。数ヶ月前から、自分から「全身麻酔で眠らせて」って言うほど辛かったらしい。肺に穴が空いたため、胸に穴を空けて空気を外に逃がしていたけれど、結局・・・。
 亡くなってから聞いたことなのだけど、本人にも告知せざるを得なかったらしい。しかも、伯父が余命宣告を受けた5年前に。でも、従兄はいつも通りにふるまっていた。最近、私が思うことは、眠れない何日もの日々を従兄は何を思っていたんだろうと言うこと。どれだけ薬を飲んでも、医者の言うとおりにしても悪くなっていく一方の体を抱えながら、表面的にも普段どおりに振舞うなんて私にはできないから。
 5年ぶりに横になってぐっすり眠りについた従兄に「やっと横になって眠れるんだね」と言うことと、今、自分ができるかぎり精一杯生きていくからという言葉でお別れをした。いつか私が従兄のところに会いに行ったときに胸を張れるように。