張栄福さんと、遺族:張孟奇さん・張素潔さん

 張栄福さんは1944年10月に日本港運業会大阪支部築港(第2次)へ連行されました。死亡診断書では、45年4月7日、「肺浸潤」により27歳で亡くなったとされています。
 張栄福さんは23歳で連行されます。晋州駅でキップ売りをしていました。また一人息子の張孟奇(当時まだ10歳にならない)と2人で数ムーの田畑を耕していました。栄福さんの連行後大黒柱を失った一家は生活も一気にどん底に落ちてしまいました。張栄福さんの消息を求め、あちこち聞き回った末、日本に行った後人間扱いされないような生活に堪えることができずに亡くなってしまったと伝え聞ききました。

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 張栄福さんの息子が張孟奇さん(37年頃の生まれ)。張孟奇さんと1歳年上のお連れ合いとの間の子が張素潔さん。2004年に古い住所で送った手紙に対し、張孟奇さん、張素潔さんから手紙をもらいました。
 張栄福さんの孫娘にあたる張素潔さんからの最初の手紙には次のように綴られていました。

悲嘆といささかの安堵(クリックで手紙へ)

 その返事に、張栄福さんの日本での詳しいことが分からない旨のお詫びを書くことしかできませんでした。
死亡診断書 ※「死亡診断書」について
中国人を強制労働させた戦時下統制団体が46年に外務省に提出したもの。
戦争犯罪追及から逃れることを目的にしているため、正直に記載しているかは疑わしい
地図・遺族所在地
 ●遺族の所在地
多くの人にとって連行された人の故郷のまま

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