曹嗷さんと、遺族:曹万興さん

 曹嗷さんは1944年8月に藤永田造船所へ連行されました。死亡診断書では、45年2月10日「肺結核」により30歳で死亡となっています。
 曹嗷さんは、20歳になる前に縛られて無理やり中国内の炭坑に引っぱって行かれ、苦力として働かされたきり音信不通となりました。その後噂で日本にいると聞き及びますがそれ以上は分からず半世紀以上過ぎてきました。身長175センチ,面長で色黒。未婚で、子どももいませんでした。

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 曹嗷さんには兄の曹海さんがいました。その子どもの曹万興さんと連絡を取り合っています。連行時のことを次のように話されています。

歯ぎしりするほどの恨みと憤り(クリックで手紙へ)

 04年2月の最初の返事は随分混乱したものでした。というのは、もう一人の藤永田の犠牲者・李登起さんの遺族宛に「河南省民権県大朝曹海 李登起的後代先生」で送った手紙が李登起さんの遺族には届かず、民権県に住む曹海さんの遺族に届いたのです。「大朝曹海」の地名は現存せず、郵便局が苦心の末「曹海」さんの遺族に届けました。それで曹万興さんからの最初の返事で、曹海さんのことについて書かれていました。また私たちが李登起さんの関係者と思われた可能性もあります。私たちは手紙を送った時点で、曹嗷さんの兄が「曹海」という名であることは知るよしもありませんでした。偶然に驚くと共に、中国の郵便局の努力に感動し感謝するばかりです。一方、曹嗷さん宛ての最初の送り先は隣の山東省で、その手紙は曹万興さんには届きませんでした。

 そうした事情で李登起さんの遺族(李仁さん、李勇さん)には手紙が届かなかったのですが、なんと李さんたちと曹万興さんとが親戚関係であり、今度は曹万興さんから李仁さん、李勇さんに連絡が行きました。それで李仁さん、李勇さんの方から最初の手紙が送られてきました。奇跡のように手紙が届いたことでいずれの消息も判明したのです。
死亡診断書 ※「死亡診断書」について
中国人を強制労働させた戦時下統制団体が46年に外務省に提出したもの。
戦争犯罪追及から逃れることを目的にしているため、正直に記載しているかは疑わしい
地図・遺族所在地
 ●遺族の所在地
多くの人にとって連行された人の故郷のまま
 
 
 

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