李世詳さんと、遺族:李彦啓さん

 李世詳さんは1944年8月に藤永田造船所へ連行されました。死亡診断書はありません。それどころか藤永田造船所が外務省に出した資料では「船中死亡 氏名不明」とあるだけです。

 私たちが李世詳さんの名を最初に知ったのは、戦後の厚生省(当時)による調査の記録からです。
 58年度から69年度にいたる期間、厚生省は各地方自治体に指示を出し強制連行され日本で死亡した中国人の遺骨の調査と収集を行っています。その目的は、当初中国に残る日本人の未帰還者調査を促進するためとされ、後には中国に残る日本人遺骨を日本に帰国させるためとして、中国側と交渉をするためのいわば「取引材料」作りの為であったようです。
 大阪についても調査がなされ、58年7月藤永田造船所人事課が、「朝鮮の木浦沖合で入水して死亡した李世詳(52歳)」と返答しています。(詳しくは岩波新書『中国人強制連行』杉原達著2002年発行をご覧下さい。)これにより判明しました。

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 現在、李世祥さんの甥の李彦啓さんから手紙を頂いています。李彦啓さんを見つけたのは藤永田の幸存者である高文声さんと遺族である田景周さんです。05年10月の追悼記念碑の除幕式に藤永田を代表して高文声さんが列席しました。当日資料の犠牲者名に「李世詳」の名を見つけた高文声さんは、帰国後すぐに田景周さんと調査を行い、遺族の李彦啓さんを見つけたのです。

 李彦啓さんは手紙の中で次のように語られています。

為す術がありませんでした(クリックで手紙へ)
地図・遺族所在地
 ●遺族の所在地
多くの人にとって連行された人の故郷のまま
 
 
 

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