ハローベスト装着

さて、いよいよハローベストの装着です。その日は母親も朝早くからソワソワして「いよいよ今日やなぁ」なんてことを言いながら待っていると、最近には珍しく軽やかなステップでドクターが看護婦さんを連れて登場しました。

「こんにちはお加減いかがですか?」とお決まりのセリフ!!「変わったことは何もありません」と いつも通り低いテンションで答えると最近には珍しく自信満々の顔で「固定具をつけましょうか」と言うと看護婦さん達に「アレ持って来て」と男前風に指示を出し 2人居るうちの看護婦さんの1人が動いて持ってきた様子・・・。(天井しか見られへんからねぇ)

実はこの日は母親にとって指折り数えてやっと来た嬉しい日!というのもハローベストが何日に届くというのを看護婦さんから聞いていて逆に言えばそれまでは何も(治療)動かないということで母親にとっては何もしない、ただ待っているだけの長い長い一日の毎日から少し前に進める日という待ちに待った日だったのです。

前の日寝る前に「明日はハローベストが届くでぇ」と嬉しそうに母親が言うので「ハローベストってなんやねん!」と強く言ってしまいました。(会話を終わらせるために)

だって看護婦さんたちは身ぶり手ぶりでハローベストというものを説明してくれるのですが話を聞いてもわからず、なによりこれと言って進展もない様子(どうやら固定するだけ)・・・。

って言うか段取りよくハローベストを発注していれば意味なく待たされることはなかったかと思うとハローベストネタにはかなりイライラしていて、それにここに来るまでに母親からハローベストが届くという話は何回も聞いてたので いい加減・・・。
だからと言って母親にきつく当たって良いということにはならないことはわかっているけど、わかっているけど・・・、ねぇ・・・。

看護婦さんが箱からハローベストを出してドクターに渡した。
僕は「いよいよか」とそれなりに心の準備をしていたらドクターがハローベストを手に持ってから気付いたんでしょうねぇ思いだしてように「このままじゃつけられへんなぁ」と冗談ぽく言うと看護婦さん達が慌ててドクターに渡したハローベストを箱に戻して僕の体を横にする準備をし始めました。

何処までも段取りの悪い奴やなぁおまえ(ドクター)はちょっと考えれば分かりそうなもんやろう。(落胆)

だいたいこんなダサダサぶりを発揮して何で半笑いやねん。(怒)

こうなるといろいろ心配になってくる。
こいつほんまにちゃんと首の手術やったんかぁ予定より時間がかかったのは大手術なんじゃなくってお前が鈍くさかっただけちゃうんか!?などと思っているとドクターが名案でも ひらめいたように「ガーゼ交換をするわけじゃないからちょっと肩が上がる程度でいいよ」と看護婦さん達に告げると「はい」と返事をしたのは良いのですがどうやら理解出来ず迷っている様子・・・。(わからんことがあったら聞こうせ!)

でもドクターはそんなことには気づかずに「僕が頭を持つからちょっと肩持って」と言うと看護婦さん達は結局いつもの体位変換と同じポジションに着きドクターが「それじゃあ少し頭待ちますよ」というと僕の左肩が久しぶりに少し持ち上がり、それでも看護婦さんはまだ迷っている様子でどんどん上げようとするとドクターが「もういいよ」というと結局左肩が20センチぐらい上がったところで止まった。

いつもテキパキな看護婦さん達の動きは鈍くまだ何がしたいのか分かっていない様子でしたがドクターが「ハローベスト持ってきて」というと腰の方を持っていた看護婦さんが肩を持っている看護婦さんに「ちょっと大丈夫?」と小さな声で聞いてすぐにバタバタと箱の音が聞こえたと思ったらドクターが少し空いた肩の間からちょっと無理矢理気味にグイグイ入れようとすると看護婦さん達はこの時やっとドクターが何をやりたいかがわかったのか、急にテキパキ動き始めて「ちょっとやから頑張ってねぇ」なんてことを僕に言う余裕まで出てきてそれからはスムーズにハローベストを付けることに成功しました。

次に手術の時につけられた天使の輪とハローベストから伸びている金属の棒を普通の工具で締められるのですが 僕の頭に刺さっている俸から金属と金属が触れ合う独特のカチャカチャという音がキンキン脳味噌に伝わって我慢できないほどのものではなかったけど、でも とても気持ちいいものではなく何より何をされているか分からないのでとても不安でした。

それらはすべてドクターが行っていたことですが ああいうこと(工具でボルトを締める)はあんまり経験がないのかとても下手くそで チップしたり空振りしたりそのたびに何とも言えない振動が伝わってきてとても嫌な思いをしたという記憶が残っています。

それでも何とか出来上がって、これで首の固定は完ぺきという感じです。

これで頭をドクターが持って恐る恐る体位変換というのもなくなって、取り付けられたハローベストの棒の所を持って少し強引なぐらいの勢いで体位変換(横に)されました。

そんなわけで術後初めての体位変換!開けてビックリ僕の尾てい骨あたり!褥瘡(床ずれ)が異臭を放つほど凄いことになっていたらしく看護婦さんは思わず「うわ〜」というとドクターが居る事を気にして少しトーンダウンしているとドクターが何やら指示を出すと看護婦さんが走って、しばらくするとガチャンガチャン(ステンレスの処置道具一式積んであるワゴンを引っぱって来て)という音とともに何やらドクターに渡している様子、ドクターは冷静を装って処置をしてた様子・・・。

それを見ていた母親はかなり驚いたようです。

その処置とは尾てい骨の上あたりの黒くなっている肉(腐っている肉)の部分をピンセットで摘んだイソジンを含んだ綿球で少しずつハギ取り棉球が腐った肉でグチャグチャになったら棉球を変えてハギ取るという作業を何回も繰り返していたようですが母親もドクターと看護婦さんがブラインドになってよくは見えなかったようですがドクターと看護婦さんの背中越しに時折見えるその光景は僕が子供の頃耳から血を流して泣きながら帰っても病院より先に説教を玄関先でして近所のおばちゃんに「あんたそんなことより早く病院行かなあかん」と言われて「そうかしゃあないなぁ」と言ってやっと病院に連れて行ってくれたぐらいの母親ですがそれを見たときはさすがに血の気が引いたと言っていました。

その作業が終わると僕の尾てい骨の上あたりに男の人の拳が入るほどの大きな穴が空いて、ドクターが看護婦さんに何とかと何とか(カタカナの薬の名前)を持って来てと言うと看護婦さんは「はい」という返事とともにダッシュ!しばらくして凄い足音とともに帰ってきてビニール袋がガサガサいっていると思ったら今度は2人がかりでビニール袋を破っている音が聞こえてきてドクターに渡している様子、ドクターはそれを持つとチュウチュウ液体を吸っている音が聞こえてドクターが「これをここで抑えてて」と言うと看護婦さんは「はい」と言いながら必死!ドクターが「行くでぇ」と言うとチョロチョロとゆっくり水が流れるような音がしてきました。

母親曰く看護婦さんが持って来たものは大きな注射器と透明な液体(多分消毒液)が入った点滴の入れ物でドクターは大きな注射器で透明な液体をいっぱい吸い上げて看護婦さんがノーボンと呼んでいたステンレスの受け皿を下に受けて僕の体に空いた穴めがけて水鉄砲の要領で掛けていったそうです。

ドクターが「もう1本持ってきて」つぶやくようにと言うと看護婦さんはまたダッシュ!そしてもう1本同じように穴めがけてかけると看護婦さんが「もう1本持ってきましょうか?」と聞くと「いや!もういいや!何とか(多分ガーゼ)ちょうだい」と言ってステンレスの音とドクターの指示、看護婦さんの返事が続いて処置が終わりました。

処置が終わって元通り上向きに戻されるとドクターが「これを付けると首の固定はもう心配ないから・・・。それで、今おしりの褥瘡がかなりひどくなってるからなるべく今みたいに横になれるかなぁ。今、横になってるときしんどかった?」

「いえ、今ぐらいだったら全然大丈夫です。

ドクター「うーん、今処置している間の時間が20分ぐらいかなぁ。出来れば30分から1時間ぐらいは横になってて欲しいねんけど・・・。」

「はい、わかりました。」

ドクター「最初はしんどいやろうから少しずつでいいねんけど長い時間 横になるよりは少しずつ何回も横になる方がいいねんけど・・・てきそうかなぁ?」

「はい」

ドクター「これをつけたから看護婦さん1人でも横になれるから・・・。(看護婦さんの方を向いて)これで首の固定は大丈夫やから」

看護婦さん「はい」

看護婦さん「お母ちゃんナースコール押してくれたらいつでも来ますから」

母親「はい」

ドクター「・・・それではお大事に」

母親、僕「ありがとうございました」

看護婦さん「お大事に」

母親、僕「ありがとうございました」

そう言いながらドクターと看護婦さんたちは部屋を出ていった。

そして足音が遠ざかっていくのを見計らって僕は母親に「俺はいったいどうなってんねん!?」と聞くと母親がそれなりに説明してくれるのですがその説明では自分がどうなっているのか全く理解できず「しゃあないなぁ」と思っていると母親が「そんなことよりあんたエライことになってるでぇ」と深刻な顔で言うので「何がやねん」 ウットシ(うざい)そうにしていました。

だって僕は生きている人間がしかも自分が腐るなんて全然信じていなかったので「何をワイワイ騒いでとんねん」という感じで痛みも何も感じないことをいいことに「なんでもいいから静かにしてくれ!」と結構お気楽でした。

そんな僕に気付いたのかどうなっているかではなく横になって血液の循環を良くしなければいけないという話に変わりました。

僕も横になることには珍しく前向きで、そんな訳でこの時は喧嘩をせずにすみました。

どうして前向きだったかと言うと入院してがら自分の意志で何かが出来るようになったのは、この時が初めてで、それまでずっと僕が何を言っても母親はドクターや看護婦さんの言うことしか聞かなかったので、なんだか凄く自由になった気がして嬉しかったからたと思います。(目線が変わることも嬉しかったかなぁ)

多分それは母親も同じでこれからは自分たちで工夫してどうにか出来るというのが凄く嬉しかったと思います。

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