人生の終わりと始まり

あれは1985年9月29日もうだいぶ昔の話になります。(当時16歳)

その日は日曜日で僕の家で友達と2人で遊んでいました。
 そしてもう午後7時に成る頃友達が「もうそろそろ帰るわ、送って」と言うので、僕はもうちょっと待ってタッチ観てからというと「えー」とブーイングそこで僕が提案「分かったジャンケンで決めようか!俺が勝ったらタッチを観るおまえが勝ったら今すぐ送ったろ!」ということでジャンケンをした結果僕が勝ちその時はタッチを観ることが出来ました。
(悔、その1ジャンケン負ければよかった。)
タッチが終わってさあ帰ろうかなんて事を言いながら取り立ての免許証、買いたてのスクーターに乗ってさっそうと家を出ました。

そういえばいつも殆ど何も言わない父親がその日に限って「気を付けなあかんで」なんてことを言っていた記憶があります。

虫の知らせかそれとも原チャリの免許取り立てやったからか・・・七不思議のひとつです。(後の六つ知らんけど )
思えばあれが最後のその時住んでいた家との別れでした。
(結構気に入っていたのに自分の部屋・・・)
友達を無事送り免許取りたての僕としては少しツーリングなんて気分で駅前まで調子に乗って走って行きました。
(悔、その2何ですぐに帰らかたやろ、もう結構ええ時間やねんからすぐに帰ればいいのに司のバカバカ(;;))
夏ももう終わりすっかり秋の気配、でもまだまだ日は長く近所をスクーターで走るにはちょうどいい季節でした。

駅前にダイエーがあって、時間的にも人は少なくツーリングをするにはナイスコンディション本当に気分がよかった記憶があります。

駅前のロータリーを回って家路に向かって走っていると目の前は人も少なく開けていて免許を取り立てなんてことは忘れて余裕の運転、買ったばかりのスクーター、今思えば自慢したかったのかもしれません。
 「どこかに知り合いはいないかなぁ〜」なんて思いながら横の道をのぞきながら走っていて、「誰もおらんなぁ」なんて思いながらふと前を見ると、人影が!咄嗟に両手のブレーキをおもいっきり握って、気がついたら飛んでいきました。

本来ならなんとか自分の身は守ろうと空中でもいろいろやるタイプの人間なんですがその時は、「しまった!やってしまった」という気持ちが先に立ち「どうしよぉ〜」と思いながら目をつぶった(悔、その3何で目をつむったやろ、情けない俺の運動神経をもってすればあのぐらいのトラブル無傷で切り抜けられたのにぃ〜
「まだそんなこと言うてんのか!このバカチンが」)まま飛んでいました。

本来は飛んでる時間は一瞬の出来事の筈ですがその時はいろんなことを考える時間があった気がします。

親からうるさく説教されることや免停の事など飛んでる時も自己中心的な考えは変わらず、そんなことを考えていると次の瞬間ドンッという衝撃が頭の方にあって、でも全然痛くありませんでした。

後日談ですが人が言うには立っていたとか歩いていたとかいろいろですがとりあえずここでは僕の記憶で話したいと思います。

衝撃があってから起きようとしてもなかなか起きれないのでちょっと休憩という感じで一瞬横になったと思ったら誰かが話しかけているので聞いてみると、「名前は?電話番号は?」と聞いてくるので何も考えずに答えました。

後日談ですがこの人は通りすがりの親切な人で僕の家に電話してくれたみたいです。

この電話を聴いて何処の病院に運ばれたかもわからないまま父親はとにかく出動したそうです。

母親は警察から連絡があるかもしれないということで自宅待機われながらいかにも我が親らしい行動です。

次にまた声をかけてくる人が、僕はまたかと思いながら聞いてみると免許証が何処にあるかを聴いているみたいなので、もう警察が来ている?僕の中ではまだ頭に衝撃があってからまだ2.3分感覚でした。とにかく免許証を持っていることを証明しないとと思って頑張って「スクーターのシートの下」と答えました。

この言葉か現場での僕の最後の言葉だと思います。

*スクーターのシートの下に入れていたのは落とさないためと自賠責保検証と一緒にしていた方が何かあった時の為に便利だと思ってそんな所に入れていました。
今思えば人生最悪の事故を自分で予測していたのかもしれません

次回は病院編

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