安野俊丸     第10回目 北小松駅から堅田駅     H18,11,3
 昨年末の骨折から春先の腰痛、息子の結婚話に玉すだれの踊りの依頼と、バタバタ、日にちが過ぎ去り、琵琶湖一周の歩きが出来ていないのが気がかりになっていた。 11月には歩けるだろうと思っていたら3日は丸々予定が入らず、「明日、歩きに行ってくるわ。」と、家内に話す。
 当日朝、目が覚めるといつもの6時、「歩きに行かへんの。」と、家内から声がかかる。
「うぅーん。やっぱし、久しぶりの休みやし、寝てるわぁー。」と、返事する。しばらく、布団の中で暖かさを楽しんでいたが、一度目が覚めているので寝られず、7時過ぎ、「よーし、行こう。」と起き上がる。 息子の弁当を作っていた家内に、おにぎりを作って貰い、そこらの菓子パンもリュックに詰め出発。
 家内から「今日は何処から何処まで。」と、声がかかる。 2年前、「琵琶湖一周に歩きにいくわぁ。」と、話した時は「そんなアホみたいなこと止めとき。」と、言っていた家内であるが、今日は「頑張ってね!」と、言っているように聞こえた。「今日は北小松から堅田まで。約18km、しんどかったら途中駅から帰るし。」と、かえす。
       野洲8:47  9:18山科9:21   北小松9:47
 駅を出て歩き始める。あれー、この道、いやに真っ直ぐである。高校生の頃、乗車したことがある江若鉄道が走っていたことを思いだした。「きっと、この道は鉄道跡の道路である。 すると、この道を歩けば、近道になる。」と、歩く歩幅が広くなる。「こんな処を走っていたのか。」と、思いながら約1時間。比良駅近くまで来ると、「よもぎ入りおはぎ」の大きな看板が飛び込んできた。 甘党の俊丸。ここは買わねばと立ち止まるが、並んでいるのは鯖棒寿司に、フナ寿司、フナの甘露煮。 おはぎはシーズンと違うし残念な思いにかられた。あきらめきれずに「おはぎは無いの。」と、声をかけると、奥の方から「作りますよ。」と、おばさんの声が返って来た。
「作るまで、庭で休んで下さい。」と、庭園に入れて戴いた。「おはぎ3つ。美味しそうな鯖寿司の酢の香りにつられ、鯖寿司は1日リュックに詰めて歩いていたらアカンかなぁ。」と、尋ねると、「作りたてやけど、そりゃアカンわぁ。」との返事。 いつまでも話していたら歩けないし、買ったおはぎをリュックに詰めて再出発。
ちょうど12時に志賀駅前の湖岸にたどり着く。買ったおはぎから食べ始めるが、おはぎと言うより半殺し餅。小さい割にはお腹にこたえる。 続いて、いつもの爆弾おにぎり。 お腹が一杯になる。 湖岸の松が比叡おろしの風で真っ直ぐ育っていないのに気づく。 みんな琵琶湖側に倒れ込むような形で育っている。
っぱし、風の力はすごいと関心する。 長く休むと歩くのがいやになりそうな雰囲気になって来たので、再スタート。 この分なら堅田まで楽勝やぁと、思いながら砂浜沿いに歩き出す。15分ほど歩いた時、右足の親指と隣の指が擦れだす。「あれー、おかしい。」 いつも履いている靴に、いつも歩く時に履いている分厚めの靴下。今まで、こんなに擦れた事が無いのに。「水ぶくれが出来そう。」と、思っていたら、チクチク痛みだす。「やっぱりやぁー、水ぶくれが出来た。」 今度は左足も同じところに水ぶくれが出来た。 骨折以来、こんなに長く歩いた事が無いので、皮膚もひ弱になってしまったのか。 人の体は使っていて機能している事を改めて認識した。 和迩からはR161号沿いにひたすら歩く。JR湖西線の西側をあるいたり、東側を歩いたり、目的地の堅田駅には2時25分に到着。 休憩が全部で1時間程、約18kmを実歩で3時間半、まぁー、まぁーの出来である。 この時間なら家に帰って、シャワーを浴びてビールを飲んで昼寝が出来ると、慌てて電車に乗り込む俊丸であった。
 後日談。家に帰って靴下を脱ぐと、親指の横が爪の大きさほどめくれていて、三日ほど足を引きずりながら通勤するはめになった。 情けなぁー 
堅田14:42  15:00山科15:05  15:25野洲 
 
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