1874年 |
●アメリカのミズーリ州カークスビルでメソジスト協会伝道師の息子として生まれた、アンドリュー・テイラー・スティル博士によって徒手療法としてオステオパシーが発表される |
1892年 |
●アメリカン・スクール・オブ・オステオパシー設立 |
1896年 |
●アメリカ、バーモント州にてオステオパシー医療業務が初めて法的認可される。 |
1897年 |
●AOA(アメリカ・オステオパシー発展協会)発足。 |
1898年 |
●オステオパシー大学協会設立。(現、AAO) |
1899年 |
●Dr. ウィリアム・ガナー・サザーランド D.O.により頭蓋縫合での関節のメカニズムの研究がなされ、頭蓋に対するオステオパシー療法という新しい分野が開拓される。 |
1903年 |
●Dr. ジョン・マーティン・リトルジョンによってイギリスにオステオパシーが伝わる。 |
1910年 |
●米国でオステオパシーが医学として公認され、日本に最初にオステオパシーが紹介される。 |
1910年 |
●フレックスナー・レポート(アメリカ医学教育に大きな影響をもつ)でオステオパシー学校が報告される。 |
1917年 |
●アンドリュー・テイラー・スティル博士死去。 |
1917年 |
●イギリスで最初の学校ブリティッシュ・スクール・オブ・オステオパシー設立。マニピュレーションによるオステオパシー治療がアメリカを含め世界中で大流行したインフルエンザに非常に効果的であることがかる。 |
1920年 |
●オステオパシーに関係する日本最初の書籍「山田式整体術講義録」が発行されるが、ほかの療術と合わせて編み出した方法を「整体術」として紹介したためオステオパシーとして伝えられることがないまま広まっていったと思われる。
国際連盟創設 |
1951年 |
●合衆国公衆衛生局が初めて更新可能な教職助成金をオステオパシー大学6校に与える。 |
1954年 |
●オステオパシー医科大学の入学資格に少なくとも3年の大学教育を要求。 |
1957年 |
●AOAは合衆国教育局健康・教育・福祉科(DHEW)より、オステオパシー教育の認可機関として認められる。 |
1960年 |
●オステオパシー医科大学の入学時には70%以上が学士号以上の学位を持つに至る。 |
1961年 |
●カリフォルニア・オステオパシー医師協会がカリフォルニア医師協会と合併し、ロサンゼルスのオステオパシー医科大学がカリフォルニア医科大学となる。 |
1962年 |
●カリフォルニア住民投票の結果、同州でDOの免許下付打ち切りが決定に備えて、同意するDOにはMDの学位が与えられた。 |
1963年 |
●オステオパシー大学設立助成金およびオステオパシー学生への貸付金に関する規定が健康に関する職業教育補助法案に含まれる。 |
1967年 |
●AOAは国家認定委員会によりオステオパシー教育のあらゆる面に対する認定機関として認められる。 |
1971年 |
●JAOA、全日本オステオパシー協会設立。 |
1990年 |
●JOA「日本オステオパシー学会」発足。 |
1992年 |
●JOAを母体とした日本初のオステオパシー専門学校、JSO、ジャパニーズ・スクール・オブ・オステオパシー設立。 |
1993年 |
●KOA、関西オステオパシー協会設立。 |
1993年 |
●イギリスでオステオパシーが開業医などと同じく第一線の医療として国会で認められ大学となる。 |
1996年 |
●アメリカ、コロラド、スプリングスで世界中のオステオパシー医が集いAAOの総会が行われる。オステオパシー医に関する世界の統一基準が示され、これを2002年までに満たさない国はオステオパシー医、若しくはオステオパスとは認めないという強い意志が示される。 |
1997年 |
●JOF、日本オステオパシー連合設立。 |
1997年 |
●ジャパニーズ・スクール・オブ・オステオパシーをJCO、ジャパン・カレッジ・オブ・オステオパシーに改名し、3年制コースとなる。 |
1998年 |
●イギリスでGOsC、ジェネラル・オステオパシック・カウンシルの設立により、いくつかあったオステオパシーの団体が一つとなる。 |
2002年 |
●世界的なオステオパスの国際認定基準設定予定 |
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