批判ばかり受けて育った子は非難ばかりします
If a child lives with criticism,He learnes to condemn.

あなたは自分に失望していないか

 自分がケチなのに、そのことがわからない人がまわりにいないでしょうか。そして、こういう人に限って、 他人のケチなところを強く非難していませんか。同じ理屈で、自分の臆病なところを認めることができずに 勇敢なふりをする人は、他人のちょっとした臆病を許せないのです。
 心のどこかで自分に失望している人がいるとしましょう。その人も親になります。人情として、自分の 子供に、親である自分がダメな人間だと示したくないのです。すると虚勢を張って自分が立派な人間である というふりをします。自分がそれほど優れていないということを認められない親、こんな親が子供にいちばん 批判的なのです。
 いったいどうしてなのでしょう。彼(もしくは彼女)は、日頃から自分への失望を隠しています。そこに 生まれる心の葛藤は少しのことでは解決できません。そこで、彼は、子供に批判的になり、「おまえはダメ だねー」と激しく失望してみせることで、あたかも自分が優れているように思いこんで心をなだめているの です。

子供の自然な成長を止めるな

 「鶏卵を見て時を告ぐるを望む」ということわざがあります。すでに鶏になったのならコケコッコーと 鳴きもしましょうが、まだピヨピヨとも鳴かない卵にそれを期待するのは無理です。ところがこんなことを 平気で望む親がいます。
 幼い頃は皆自分本意です。むしろこの頃の利己主義は健全なものですが、彼らはこれがわからないのです。 子供が完全でないといって、子供を批判します。自分に失望している部分があって、それを他人に見ぬかれ ることを、彼らはひどく恐れています。だから自分の子供にそれを見せつけられると過度に批判してしまう のです。
 自分本意な行動から利己主義を昇華し、そして利他主義にめざめる、これが子供の自然な成長です。ところが それを待てない親もいます。彼らは情緒的に未成熟なのです。
 彼らは現実を無視してその子供には高すぎる基準で、子供のすることなすことを批判します。しかし それでは、子供に「失敗しなさい」と言っているのと同じです。

失望した子供はどうなるのか

 一方、いつも「ダメだねー」と批判された子供はどうなるのでしょうか。まず、いきすぎた批判で、子供 は自分に失望していきます。するとその子供は次に、他人を攻撃することで、自分への失望と戦おうとする のです。親と同じように、他人への非難で自分がダメな人間だという思いから目をそらそうとします。 他人を非難している限り、自分が弱点のない人間であるような気になっていられるのです。自分に自信が ないので人生に正面からぶつかっていけずに、他人のすることを見て「あんなもの、くだらない」と非難 するのです。
 困ったことに、こういう情緒的に未成熟な人というのは、しばしば同類と結びついて一緒に他人を非難し ます。仲間がいるぶん気楽なので、この傾向は強まります。確かに世の中には俗悪さが満ちあふれていますが、 これではもちろん世の中がよくなることなどありえないし、自分が情緒的に成熟していくなど、望むべくも ないでしょう。

心が弱いから非難する

 「批判したり、非難する人たちは、怒っているか、悲しいかだ」とグールディング夫妻(注1)は述べて います。批判ばかりされた子供は、怒ってもいるし悲しんでもいるのでしょう。自分の不幸の原因を誰かの せいにしたがっているのです。悪いのは自分ではない、と主張したいのです。
 自分が批判されたからといって、すべての子供が、それは自分が悪いからだととるわけではないのです。 悪いのは私ではない、自分をそんなふうにした「あいつ」が悪いのだ、と「あいつ」を非難したくもなる でしょう。自分に絶望すれば、子供でなくとも他人を非難したくなります。まして弱い子供では、その傾向 は大きいのです。

子供の成長を恐れていないか

 さて、このように書いてきますと、たいていの親御さんからは「私は子供を絶望になど追いやらない。成功 することを願っている。子供に強く優れているように励ましている」とお叱りを受けるかもしれません。
 しかし、少し考えてみてください。強く優れていることを期待しての「教育」に「他人より強く優れて いると他人から恨まれるぞ」という無意識のメッセージが入りこんでいる、と言ったら、それでもあなたは 自信をもって子供に「強く優れていなさい」とくりかえすことができるでしょうか。
 実はこの「他人」とは親自身のことです。親は心のどこかで、子供が自分を追いこすことを恐れています。 たいていの親はこのことに気づかずに表面は寛容にふるまっているのです。しかし、こんなことに気づかな いほど、子供の心は鈍感ではありません。
 結果、子供は「強く優れてあれ」という表面のメッセージも「強く優れていると恨まれるぞ」というかく れたメッセージも心からは受け入れることができなくなって、不満だけが残っていくのです。
 あやまちを厳しく指摘してそれを激しく批判しても、子供はまず良い方向には変わりません。しかし、 批判ばかりしている親はそのことに気づくことなく、子供を力づくで変えようとします。
 バスカリヤ(注2)の本には、次のようなヒンズー教の教えが出ています。
「卑しいものほど、他人の欠点は、からしの種ほどのものでもすぐ見つける。それでいて、自分の欠点には、 それがビルバの果実ほど大きくても、がんこに目をつぶる」(著者訳)。

たやすく迎合する子供

 批判されて自信を失った子供のすべてが、他人を非難するわけではありません。他人を非難しないような 子供は、自分を攻撃するのです。他人を憎まないで、自分を憎むようになります。このような人は、自意識 過剰で、いつも他人は自分を悪く思うと感じています。
 悪いことに、彼らは、おしつけがましい利己主義者、冷たく身勝手な人、高慢で自己中心的な人、そんな 人にまで迎合してしまいます。他人を非難するのではなく、逆に他人に迎合することで自分を守ろうとする のです。

子供を変える刺激

 どうすれば子供を変えられるのでしょうか。心理学の言葉に「ピグマリオン効果」というのがあります。 ピグマリオンは、バーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』からとっています。
 実は、私はこの作品を読んでいないのですが、要するに、さる大学教授が粗野な娘をしとやかな女性に 変えていくという話しであるようです。で、その方法というのが、粗野な娘をいつも淑女のように扱うと いうものでした。結果は、みごと粗野な娘は淑女に変わったということです。
 つまりピグマリオン効果とは「人はそのように扱うとそのようになる」ということです。子供を変えられ るとしたら、このような刺激によるのではないでしょうか。
 次にあげる実験は、その好例です。このことは、マックギニスの本(注3)に出ています。
 それは、生徒の学業成績が振るわないのは、教師がそのように予測することに影響されているのではない か? 教師の期待や信頼が高まれば、それにつれて生徒の成績も上がるのではないか? という推測で、 ハーバード大学教授ロバート・ローゼンサールとサンフランシスコの学校長レノア・ジェイコブソンが教室で 行ったのです。
 幼稚園から5年生までの子どもに学習能力テストを行いました。次の学期に、新しくそれぞれ担任になった 教師たちに、各クラス5、6人の生徒の名前を教え「この子達は目ざましく伸びる子どもたちですよ、テストで 学習能力がずば抜けていることがわかったんです」と伝えておいたのです。
 このことは嘘でした。名前を教えた子どもたちが他の子どもたちに比べて伸びる可能性があるという根拠 は何ひとつなかったのです。
 ところが学年末に再びテストをすると、驚くべき結果が出ました。教師たちに伝えたとおりになってしまっ たのです。名前を教えられた子どもたちの成績がすばらしく伸びたのです。前にも書いたとおり、子ども たちの能力差には明らかな違いがあったわけではありません。ただひとつの違い、それは名前を教えられた 子どもたちに向けられた教師たちの態度だけです。推測はみごとに証明されました。

子供の話を聞く大切さ

 ここに、ウェイトリー(注4)の詩を紹介します。批判ばかりする親にならぬように、お勧めします。

 子供の話に耳を傾けよう。

きょう、少し
あなたの子どもが言おうとしていることに耳を傾けよう。

きょう、聞いてあげよう、あなたがどんなに忙しくても。
さもないと、いつか子どもはあなたの話を聞こうとしなくなる。

子どもの悩みや要求を聞いてあげよう。
どんなに些細な勝利の話も、どんなにささやかな行いもほめてあげよう。
おしゃべりを我慢して聞き、いっしょに大笑いしてあげよう。
子どもに何があったのか、何を求めているかを見つけてあげよう。

そして言ってあげよう、愛していると。毎晩毎晩。
叱ったあとは必ず抱きしめてやり、
「大丈夫だ」と言ってやろう。

子どもの悪い点ばかりをあげつらっていると、そうなってほしくないような人間になってしまう。
だが、同じ家族の一員なのが誇らしいと言ってやれば、
子供は自分を成功者だと思って育つ。

きょう、少し
あなたの子どもが言おうとしていることに耳を傾けよう。

きょう、聞いてあげよう、あなたがどんなに忙しくても。
そうすれば、子どもはあなたの話を聞きに戻ってくるだろう(注5)。


 ウェイトリーの他の本から、例をもうひとつ。クリスマスの日に、5歳の子どもを連れてブロードウェイに 買物に行った母の話です。
「街には、クリスマスソングが流れ、ウインドウは豪華に飾りつけられて、サンタクロースが街角で踊る。 店頭には玩具もたくさん並べられていて、5歳の男の子は眼を輝かせて喜ぶにちがいないと母親は思った。 ところが案に相違して息子は母親のコートにすがりつき、シクシクと泣き出した。
『どうしたの。泣いてばかりいるとサンタさんは来てくれませんよ』
『あら、靴のひもがほどけていたのね』
 母親は、歩道にひざまずいて、息子の靴のひもを結び直してやりながら、何気なく眼を上げた。何もないのだ。 美しいイルミネーションも、ショーウインドウも、プレゼントも、楽しいテーブルの飾り付けも。何もかも 高すぎて見えない。眼に入ってくるのは、太い足とヒップが、押しあい、突き当たりながら過ぎていく通路 だけだった」(注6)。



注1)夫妻ともに国際交流分析協会の教授会員。
注2)アメリカ生まれ。南カリフォルニア大学教育学教授で、ベストセラー作家でもある。
注3)『ベストを引き出す』(マックギニス著・加藤諦三訳・日本実業出版社)。*マックギニス…アメリカの著名な精神科医。
注4)南カリフォルニア大学客員教授。能力開発研究家。全米オリンピック委員会心理学部会委員を務めた。
注5)『自分を最高に活かす』(加藤諦三訳・ダイヤモンド社)85頁。
注6)『成功の心理学』(加藤諦三訳・ダイヤモンド社)20‐21頁。


加藤諦三著・アメリカインディアンの教え・扶桑社文庫より

Dorothy Law Nolte
作・ドロシー・ロー・ノルト/訳・吉永 宏
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