佛遺教経 仏垂般涅槃略説教誡経
 (ようしんさんぞうほうし く ま ら じゅ)
《 姚秦三藏法師 鳩摩羅什 訳 》
       漢文
(下記の青色文字番号は右の解説用です)
和  訳 解  説
1 釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)(はじめ)法輪(ほうりん)(てん)じて阿若憍陳如(あにゃきょうじんにょ)()し、最後の説法に須跋陀羅(しゅばつだら)を度したまう。度すべき所の者は皆すでに度し終わって、沙羅双樹(さらそうじゅ)の間に於いて、まさに涅槃(ねはん)に入らんとす。この時、中夜(ちゅうや) 寂然(じゃくねん)として(おと)無し。諸々(もろもろ)の弟子の為に略して法要を()きたもう。
2[戒律] 汝等比丘(なんだちびく)、我が滅後(めつご)に於いてまさに波羅大木舎叉(はらだいもくしゃ)を尊重し珍敬(ちんきょう)すべし。(あん)(みょう)()い、貧人(びんにん)(たから)()るが如ごとし。まさに知るべし、これは(すなわ)ちこれ汝等(なんだち)大師(だいし)なり。もし我れ世に(じゅう)するともこれに異なること無けん。浄戒(じょうかい)をたもつ者は、 販売貿易 (ぼんまい・むやく)し、田宅(でんたく)安置(あんち)し、 人民奴婢(にんみんぬひ)畜生を畜養することを得ざれ。一切の種植(しゅじき)及び諸々(もろもろ)の財宝、皆まさに遠離(おんり)すること火坑(かきょう)()くるが如くすべし、草木を斬伐(ざんばつ)し、土を(たが)やし、地を()り、湯薬(とうやく)合和(ごうわ)し、吉凶(きっく)を占相し、星宿(しょうしゅく)仰観 (ごうかん)し、盈虚(ようこ)推歩(すいぶ)し、暦数算計(りゃくしゅさんけ)することを得ざれ、皆(おう)ぜざる所なり。身を(せっ)し時に(じき)して、清浄(しょうじょう)自活(じかつ)せよ。世事(せじ)に参与し、使令(しみょう)を通知し、呪術(しゅじゅつ)仙薬(せんやく)し、(よし)みを貴人に結び、親交媟慢(しんこうせつまん)することを得ざれ。皆作(みなさ)に応ぜず。當に自ら端心正念(たんしんしょうねん)して度を求むべし。 瑕疵(げし)苞蔵(ほうぞう)し、異を(あらわ)し、衆を惑わすことを得ざれ。四供養(しくよう)に於いて量を知り足ることを知って、わづかに供事(くじ)を得て蓄積(ちくじゃく)すべからず。これ即ち略して持戒(じかい)の相を説く。戒は是れ正順解脱(しょうじゅんげだつ)(もと)なり。かるがゆえに波羅提木叉(はらだいもくしゃ)と名づく。この戒に依因(よりよっ)諸々(もろもろ)禅定(ぜんじょう)及び滅苦(めっく)智慧(ちえ)を生ずることを()。是の故に比丘(びく)、まさに浄戒(じょうかい)(たも)って毀欠(きけつ)せしむることること(なか)るべし。もし人()浄戒(じょうかい)(たもっ)てば、これ則ち(よく)善法(ぜんぽう)有り。若し浄戒(じょうかい)無ければ諸善(しょぜん)功徳みな生ずることを得ず。ことをもって當に知るべし。戒は第一安穏(あんのん)功徳の所住處(しょじゅうしょ)たることを。
3[五根、五欲] 汝等比丘(なんだちびく)すでに()(かい)(じゅう)す。まさに五根(ごこん)を制して放逸(ほういつ)して五欲(ごよく)に入らしむること(なかる)べし。例えば牧牛(ぼくご)の人の(つえ)(とっ)て之を()せしめて、縦逸(じゅういつ)して人の苗稼(みょうけ)を犯さしめざるが如し。もし五根をほしいままにすれば、(ただ)五欲(ごよく)のみに非ず。まさに涯畔(がいばん)無うして(せい)すべからず、(また)悪馬(あくめ)(くつわずら)を以て制せざれば、まさに人を牽ひいて、坑陷(きょうかん)(おとさし)めんとするが如し。 もし劫害(こうがい)(こう)むるも、苦一世(くいっせ)(とど)まる。五根の賊禍(ぞくか)はわざわひ累世(るいせ)に及ぶ。害をなすこと甚だ重し。(つつ)しまずんばあるべからず。この故に智者(ちしゃ)(せい)して(しか)(したがわ)ず。これを()すること賊の如くにして縦逸(じゅういつ)ならしめざれ。たとい(これ)をほしいままにするとも、皆また久しからずして其の磨滅(まめつ)を見ん。この五根は(しん)をその主と為す。是の故に汝等(なんだち)まさに好く(しん)を制すべし。(しん)の恐るべきこと毒蛇(どくじゃ)悪獣(あくじゅう)怨賊(おんぞく)・大火よりも甚だし。越逸(おついつ)なること未だ(さと)するに足らず。例えば、人あり手に蜜器(みつき)()って、動転軽躁(どうてんきょうそう)して、(ただ)(みつ)のみを観て深坑(じんきょ)を見ざるが如し。又、狂象(おうぞう)(かぎ)なく猿猴(えんごう)()を得て騰躍跳躑(とうやくとうじゃく)して禁制(きんせい)すべきこと(かた)きが如し。まさに(きゅう)に之をとりひしいて放逸(ほういつ)ならしむること無かるべし。この心をほしいままにすれば、人の善事(ぜんじ)(うしな)う。これを一処(いっしょ)に制すれば、(こと)として(べん)ぜずということ無し。この故に比丘(びく)まさに勤めて精進して汝が(しん)折伏(しゃくぶく)すべし。
4[飲食] 汝等比丘(なんだちびく)諸々(もろもろ)飲食(おんじき)を受くることまさに薬を服するが如くすべし。()きに於いても、(あし)きに於いても、増減を生ずること勿かれ。 わずかに得て身を支えて、(もっ)飢渇(けかつ)を除け。蜂の花を採とるに、但だ其の味わいのみを取って色香(しきこう)を損ぜざるが如し 。比丘(びく)(また)しかなり。人の供養を受けてわずかに自ら悩を除け。多くを求めて、その善心(ぜんしん)(やぶ)ることを得ることなかれ。例えば智者の、牛力(ごりき)()うる所の多少を籌量(じゅうりょう)して、分に()ごして(もっ)てその力を尽くさしめざるが如し。
5[惰眠] 汝等比丘(なんだちびく)、昼は即ち勤心(ごんしん)に善法を修習(しゅじゅう)して時を(しっ)せしむること無かれ。初夜にも後夜にも(また)(はい)すること有ること(なか)れ。中夜に誦経(じゅきょう)して(もっ)て自ら消息せよ。睡眠(ずいめん)の因縁を以て一生を(むなし)く過ごして所得無からしむること(なか)れ。当に無常の火の諸の世間を焼くことを念じて、早く自度を求むべし。睡眠(ずいめん)すること勿れ。諸々(もろもろ)の煩悩の賊(つね)に伺って人を殺すこと、怨家(おんけ)よりも(はなはだ)し、(いづく)んぞ睡眠(ずいめん)して自らを警寤(きょうご)せざるべき。煩悩の毒蛇(どくじゃ)(ねむっ)て汝が(しん)に在り。例えば黒蚖(こくがん)の汝が(しつ)に在って眠るが如し。まさに持戒(じかい)(かぎ)を以て早くこれを屏除(びょうじょ)すべし。 睡蛇(すいじゃ)既に()でなば即ち安眠すべし。()でざるに(しか)も眠れるは是れ無慚(むざん)の人なり。
[慙愧] 慚恥(ざんち)(ぶく)は、諸々(もろもろ)荘厳(しょうごん)に於いて最も第一とす。(ざん)鉄鉤(てっこう)の如く能く人の非法(ひほう)を制す。この故に比丘(びく)常に當に慚恥(ざんち)すべし。しばらくも捨つることを得ること無なかれ。もし慚恥(ざんち)を離れば即ち諸々(もろもろ)の功徳を失う。有愧(うぎ)の人は即ち善法あり、もし無慚(むぎ)(もの)諸々(もろもろ)禽獣(きんじゅう)(あい)(こと)なること無し。
6[怒り] 汝等比丘(なんだちび)く、もし人有り来って節々(せつせつ)支解(しげ)するとも、まさに自ら心を(おさ)めて瞋恨(しんごん)をせしむること()かるべし。(また)まさに口を(まも)って悪言(あくげん)を出すこと勿るべし。もし恚心(いしん)をほしいままにすれば、即ち自ら(どう)を妨げ、功徳の利を失す。忍の徳たること持戒苦行も及ぶこと(あた)わざる所なり。()(にん)を行ずる者はすなわち名づけて有力(うりき)大人(だいにん)()すべし。もしそれ悪罵(おめ)の毒を歓喜(かんき)忍受(にんじゅ)して、甘露(かんろ)を飲むが如くすること(あた)わざる者は、入道智慧(にゅうどうちえ)の人と名ずけず。ゆえに(いかん)となれば、瞋恚(しんい)の害は即ち諸々(もろもろ)善法(ぜんぽう)を破り、好名聞(こうみょうもん)をやぶる。今世後世(こんせごせ)の人、見んことを願わず。まさに知るべし、瞋心(しんじん)猛火(もうか)よりも(はなは)だし。常にまさに防護(ぼうご)して入ることを得せしむること()かるべし。功徳をかすむるの賊は、瞋恚(しんい)に過ぎたるは無し。白衣(びゃくえ)受欲非行道(じゅよくひぎょうどう)の人なり、法として自ら制すること無きすら、(しん)なお(なだ)むべし。出家行道無欲の人にして、(しか)瞋恚(しんい)(いだ)くは、(はなはだ)不可なり。例えば清冷(しょうりょう)の雲の中に霹靂火(びゃくりゃくひ)を起こすは所応(しょおう)(あら)ざるが如し。
7[驕慢] 汝等比丘(なんだちびく)、まさに自ら(こうべ)をなずべし。以て飾好(じきこう)を捨てて、壊色(えしき)()(ちゃく)し、応器(おうき)執持(しゅじ)して、(こつ)を以て自活(じかつ)す。自ら見るにかくの如し。もし驕慢(きょうまん)起こらば、まさに速くこれを滅すべし。驕慢(きょうまん)増長(ぞうちょう)するはなお世俗(せぞく)白衣(びゃくえ)(よろ)しき所に(あら)ず。いかに(いわ)んや出家入道の人、解脱の為の故に自らその身を(くだ)して(しか)(こつ)を行ずるをや。
8[諂曲へつらい] 汝等比丘(なんだちびく)諂曲(てんごく)(しん)は道と相違す。この故に(よろ)しくまさにその(しん)質直(しつじき)にすべし。まさに知るべし、諂曲(てんごく)(ただ)欺誑(ぎおう)を為すを。入道(にゅうどう)の人は即ちこの(ことわり)無し。この故に汝等(なんだち)(よろ)しくまさに端心(たんしん)にして質直(しつじき)を以って(ほん)と為なすべし。
(以下は八大人覚) 
9「小欲1」 汝等比丘(なんだちびく)、まさに知るべし。多欲(たよく)の人は多く利を求むるが故に苦悩(くのう)もまた多し。小欲(しょうよく)の人は求め無く欲無ければ則ち此の(うれ)い無し。ただちに小欲(しょうよく)すら(なお)まさに修習(しゅじゅう)すべし。いかに()わんや小欲の()諸々(もろもろ)の功徳を生じるをや。少欲の人は即ち諂曲(てんごく)して以て人の意を求むること無し。また諸根(しょこん)の為に引かれず、小欲を行ずる者は、(しん)即ち坦然(たんねん)として憂畏(うい)する所無し。事に()れて(あま)りあり、常に足らざること無し。少欲ある者は即ち涅槃あり。これを少欲と名づく。
10「知足2」 汝等比丘(なんだちびく)、もし諸々(もろもろ)苦悩(くのう)を脱せんと欲せば、まさに知足を観ずべし。知足(ちそく)の法は則ち()れ、富楽安穏(ふらくあんのん)の所なり。 知足の人は地上に()すと(いえど)も、(なお)安楽(あんらく)なりとす。不知足の者は、天堂(てんどう)(しょ)すと(いえど)も、またこころに()ななわず。不知足の者は、富むと雖いえども(しか)も貧しし。知足の人は、貧ししと(いえど)(しか)も富めり。不知足の者は常に五欲の為に()かれて、知足の者の憐憫(れんみん)せらる。是を知足と名づく。
11「遠離3」 汝等比丘(なんだちびく)寂静無畏安楽(じゃくじょうむいあんらく)を求めんと欲せば、まさに憒閙(かいにょう)を離れて独処閑居(どくしょげんご)すべし。静処(じょうしょ)の人は、帝釈諸天(たいしゃくしょてん)ともに敬重(きょうじゅう)する所なり。この故にまさに己衆(こしゅう)他衆(たしゅう)を捨てて、空閑(くうげん)独処(どくしょ)して苦本(くほん)を滅せんことを思うべし。もし衆を願う者は、則ち衆悩(しゅのう)を受く。例えば大樹(たいじゅ)衆鳥(しゅうちょう)これに集まれば、則ち枯折(こせつ)(うれ)い有るが如し。世間(せけん)縛著(ばくじゃく)して衆苦(しゅうく)(ぼっ)す。例えば老象(ろうぞう)(でい)(おぼ)れて、自ら(いず)ること(あた)わざるが如し。これを遠離(おんり)と名なづく。
12「精進4」  汝等比丘(なんだちびく)、もし(つとめ)て精進すれば、即ち事として(かたき)ものなし。この故に汝等(なんだち)まさに勤めて精進すべし。例えば少水(しょうすい)も常に流るるときは、即ち()く石を穿(うがつ)が如し。もし行者(ぎょうしゃ)(しん)しばしば懈廃(げはい)すれば、例えば火を()るに未だ(あつ)からずして而も()めば、火を得んと欲すと(いえど)火得(ひう)べきこと(かた)きが如し。これを精進と名づく。
13「不忘念5」 汝等比丘(なんだちびく)善知識(ぜんちしき)を求め善護助(ぜんごじょ)を求むることは不忘念(ふもうねん)(しく)は無し。もし不忘念(ふもうねん)ある者は、諸々(もろもろ)煩悩(ぼんのう)の賊、即ち入ること(あた)わず。この故に汝等(なんだち)常に当に念を(おさ)めてむねにおくべし。若し念を失ぁつする者は即ち諸々の功徳を失っす。若し念力(ねんりき)堅強(けんごう)なれば、五欲の賊中(ぞくちゅう)に入ると(いえど)も為に害せられず。例えば(よろい)を着て陣に入れば、即ち(おそ)るる所無なきが如し。これを不忘念(ふもうねん)と名づく。
14「定6」 汝等比丘(なんだちびく)、若し(しん)(おさ)むる者は、心(すなわ)(じょう)に在り。心定(しんじょう)に在るが故に、()世間(せけん)生滅(しょうめつ)法相(ほっそう)を知る。 この故に汝等(なんだち)、常にまさに精進(しょうじん)して諸々(もろもろ)(じょう)修習(しゅじゅう)すべし。もし(じょう)を得る者は、(しん)即ち散ぜず。(たと)えば水を()しむの家は、善く堤塘(だいとう)()するが如し。行者も(また)しかりなり。智慧(ちえ)の水の為の故に、善く禅定を修して漏失(ろうしつ)せざらしむ。是を名づけて(じょう)と為す。
15「知恵7」 汝等比丘(なんだちびく)、もし智慧有れば即ち貪著(とんじゃ)無し。常に自ら省察(しょうさつ)して(しっ)すること有らしめざれ。是れ則ち我が法の中に於いて能く解脱を()。若し(しか)らざる者は既に道人に非ず、又白衣(びゃくえ)に非ず、名づくる所無し。実智慧(じっちえ)は、即ちこれ老病死海を渡る堅牢(けんろう)の船なり。亦たこれ無明(むみょう)黒闇(こくあん)の大明燈(だいみょうとう)なり。一切病者(いっさいびょうしゃ)良薬(りょうやく)なり。煩悩(ぼんのう)()()るの利斧(りふ)なり。この故に汝等(なんだち)、まさに聞思修(もんししゅう)()を以て、而も自ら増益(ぞうやく)すべし。もし人智慧(ちえ)(しょう)あれば、これ肉眼(にくげん)なりと(いえど)も、(しか)もこれ明見(みょうけん)の人なり。これを智慧(ちえ)となづく。
16「不戯論8(ふけろん)」汝等比丘(なんだちびく)、もし種々(しゅじゅ)戯論(けろん)は、其の(しん)即すなわち乱る。また出家(しゅっけ)すと(いえど)も、なお(いま)だ脱することを得ず。是れ故に比丘(びく)、まさにすみやかに乱心(らんしん)戯論(けろん)捨離(しゃり)すべし。もし汝、寂滅(じゃくめつ)の楽を()んと欲せば、ただまさに善く戯論(けろん)(とが)(めっ)すべし。これを不戯論(ふけろん)と名づく。
17 汝等比丘(なんだちびく)諸々(もろもろ)功徳(くどく)に於いて、常にまさに一心(いっしん)諸々(もろもろ)放逸(ほういつ)を捨つること、怨賊(おんぞく)(はな)るるが如くすべし。大悲世尊(だいひせそん)所説(しょせつ)利益(りやく)皆すでに究竟(くきょう)す。汝等(なんだち)()だ當に勤めて之を行ずべし。若しは山間若(さんげんも)しは空澤(くうだく)の中に於いても若しは樹下(じゅげ)閑処(げんしょ)静室(じょうしつ)に在っても、所受(しょじゅ)の法を念じて忘失(もうしつ)せしむること()かれ。常にまさに自ら(つと)めて精進して(これ)を修すべし。()すこと()うして、(むなし)く死せば、後に(くい)あることを致さん。我は、良医(りょうい)(やまい)を知って薬を説くが如し。(ふく)すと服せざるとは医の(とが)に非ず 。又()(みちびく)ものの人を善道(ぜんどう)に導くが如し。これを聞いて行かざるは、導くものの(とが)(あら)ず。
「18四諦」 汝等(なんだち)、もし苦集(くうしゅう)四諦(したい)に於いて、疑う所ある者は、(はや)く之を問うべし。(うたが)いを(いだ)いて決を求めざることを()ること無なかれ。 (その)時、世尊(せそん)(かく)の如く三たび(とな)えたもうに(ひと)問いたてまつる者無し。所以(ゆえ)いかんとなれば、(しゅう)疑い無きが故に。
19 時に、阿珸樓馱(あぬるだ)(しゅう)の心を観察して(しか)も佛に(もう)して(もう)さく。世尊、月は(あつ)からしむべく、日は冷ややかならしむべくとも、佛の説きたもう四諦(したい)()ならしむべからず。佛の説きたもう苦諦(くたい)は実に苦なり。楽ならしむべからず。(しゅ)(しん)にこれ(いん)なり。更に異因(いいん)無し。()もし滅すれば、即ちこれ因滅す。因滅するが故に果滅(かめつ)す。滅苦(めっく)の道は(じつ)にこれ真道(しんどう)なり。更に余道(よどう)なし。世尊(せそん)、この諸々(もろもろ)比丘(びく)四諦(したい)の中に於いて決定(けつじょう)して疑い無し。
20 この衆中(しゅうちゅう)に於て、若し所作(しょさ)未いまだ(べん)ぜざる者は、(ほとけ)滅度(めつど)を見てまさに悲感(ひかん)有るべし。もし初めて法に入ること有つ者は、佛の所説を聞いて即ち皆得度(とくど)す。譬えば夜電光(でんこう)を見て(すなわ)(みち)を見ることを()るが(ごと)し。もし所作(しょさ)既に(べん)じ、既に苦海(くかい)を渡る者は、(ただ)この念を()さん。世尊(せそん)滅度(めつど)、ひとえに何ぞ(すみ)やかなるやと。
21 阿珸樓馱(あぬるだ)、この語を説いて衆中(しゅうちゅう)皆悉(みなことごと)四聖諦(ししょうたい)()了達(りょうだつ)すと(いえど)も、世尊(せそん)、この諸々(もろもろ)大衆(たいしゅう)をして皆堅固(けんご)なることを()せしめんと欲して、大悲心(だいひしん)を以てまた(しゅう)の為に説きたもう。
22 汝等比丘(なんだちびく)悲悩(ひのう)(いだく)こと(なか)れ。もし(われ)、世に住すること一劫(いっこう)するとも、会うものは(また)まさに滅すべし。会って離れざること、(つい)()べからず。自利利人(じりりじん)の法、皆具足(ぐそく)す。若し我久しく住するとも更に所益(しょやく)無けん。 まさに()すべき者は、もしは天上(てんじょう)人間(にんげん)(ことご)とく(すで)()す。其の未だ度せざる者には、皆、(また)(すで)に得度の因縁を()す。自今已後(じこんいご)、我が諸々(もろもろ)の弟子、展転(てんでん)してこれを行ぜば、即ちこれ如来(にょらい)法身(ほっしん)常に()まして滅せざるなり。この故にまさに知るべし。世は皆無常(むじょう)なり、会うものは必ず離るることあり。憂悩(うのう)(いだ)くこと(なか)れ。世相(せそう)(かく)の如ごとし。まさに勤めて精進(しょうじん)して早く解脱(げだつ)を求め、智慧(ちえ)(みょう)(もっ)諸々(もろもろ)癡闇(ちあん)を滅すべし。世は、實に危脆(きずい)なり。牢強(ろうごう)なる者無し。我今(めつ)を得うること、悪病(あくびょう)を除くが如し。これは(これ)、まさに()つべき罪悪(ざいあく)の物。仮に名づけて身と為す。老病生死(ろうびょうしょうじ)の大海に没在(もつざい)す。何ぞ智者(ちしゃ)有ってこれを除滅(じょめつ)すること得ること、怨賊(おんぞく)を殺すが如く(しか)歓喜(かんき)せざること有らんや。
23 汝等比丘(なんだちびく)、常にまさに一心(いっしん)に勤めて出道(しゅつどう)を求むすべし。一切世間(いっさいせけん)動不動(どうふどう)の法は皆なこれ敗壊(はいえ)不安(ふあん)の相なり。
24  汝等(なじだち)(しば)らく()みね。(また)(もの)いうことを得ること勿なれ。(とき)(まさ)(すぎ)なんとす。我、滅度(めつど)せんと欲す。これ我が最後の教誨(きょうげ)する所なり。

 佛垂般涅槃略説教誡経
 (ぶっしはつねはんりゃくせつきょうかいきょう)       
    後秦亀茲国三蔵 鳩摩羅什 奉詔訳