白鳥の関

むかしむかし、若者の家に美しい娘がやってきて

嫁にして欲しいといいました。

働き者の娘につられて若者も毎日畑でよく働くようになりました。

あるとき若者は鳥やけものを射止める弓矢がほしくて

たまらなくなりました。

ある夜、夢に嫁さんが出てきて

「そんなにほしいならわたしの身代わりにおいていきます」

目が覚めると弓矢をのこして嫁さんはいなくなっていました。

その弓矢はおもしろいほどよく当たりました。

ある日、野山をかけまわっていると、嫁さんの姿を見つけました。

「さあ、いっしょに帰ろう」

と、手をとると、美しい白鳥になって飛んでいきました。

追いかけましたが紀伊と和泉の関所の柵にはばまれて

男はあきらめました。

それからだれいうとなくこの関所を

「白鳥の関」

と呼ぶようになりました。

サンプル画像

汗かき阿弥陀さん

明治のはじめのころのお話です。

瑞林寺という寺がありました。

毎朝、ていねいにおつとめをして仏さまをおまつりしておりました。

ある朝、いつものように朝のおつとめをするために

仏さまの前に座りましたところ

どうしたことか仏さまがびっしょりと汗をかいておられました。

「これは、何かよくないことがあったのか」

と、本堂をしらべると、お賽銭箱のお金が盗まれていました。

「仏さまが汗をかいて盗まれたことを教えてくれたのだ」

この話は村中にひろがり

「瑞林寺の汗かき阿弥陀さん」

と、呼ぶようになりました。

この阿弥陀さんを拝むと泥棒よけになると評判になり

お参りする人がたえなかったそうです。

サンプル画像

鳴かないカエル

今から四百年ほど昔のお話です。

小倉というところで信誉上人(しんよしょうにん)という

えらいお坊さんが修行をしておられました。

夕焼けにそまる空を見上げながら

極楽の事を思い浮かべていますと

色々な声が聞こえてきて修行のじゃまをしようとします。

悪口やかげ口にまじってカエルの声もさわがしく聞こえてきました。

信誉上人は

「人の修行のじゃまをしてはいけません」

と、カエルたちにいいました。

それからは、小倉のカエルは鳴かなくなったということです。

その時の夕焼けに染まって背中の赤くなった

鳴かないカエルもいるということです。

サンプル画像

高松の投げ頭巾

お城の南の方に松並木の美しい

「お成り街道」

があったのや。

殿さまが行列そろえて通られる道でなあ

根が土の上に張り出した

「高松の根上がり松」

の前には、茶店がでておった。

茶店の人は赤い頭巾をかぶっておって

通る人に頭巾を投げてはお客をさそっておったんじゃ。

ところが、近くの愛宕山にすむ女キツネが、美っつい女に化けて

「投げ頭巾」

のまねをしよるようになった。

夕方になると

「ごいっぷくしませんか」

というては人を化かしよる。ぎょうさんの人が化かされよったと。

このうわさを阿波(徳島県)の芝右衛門キツネが聞いたのや。

「なまいきな。わしとひとつ勝負や。

殿様に化けてお成り街道を通るから見に来い」

と、挑戦状をつきつけよった。

女キツネが見に行くと、なるほど殿様の行列がやってくる。

阿波のキツネもなかなかやるもんや

いざ芝右衛門キツネとご対面と

のこのこ行列に近づき殿さまのかごのたれをあげようとしたもんや

「無礼者!」

行列は本もんやったのや。

投げ頭巾キツネは

どこぞに逃げて二度と人をだまさんかったそうや。

サンプル画像

薬王寺の牛

むかしむかし、塩春(しおつき)という男が

薬王寺の和尚さんに、米を借りて酒つくりをした。

優しい和尚さんは

「返すのはいそがんでもええ

がんばって早うよい酒つくりになれよ」

と、励ました。

しかし、塩春は病気で死んでしまって米を返すことが出来なんだ。

すると、どこからともなくやって来た牛が寺に住みつき

よく働くようになりました。

ある時、石人という人の夢にその牛があらわれ

「和尚さんに米を借りたまま返すことができず死んでしまいました。

つぐないに八年間寺に仕えることになりました。

あと三年残っているのですが、寺男が丸太でひどく殴るので

つらくてたまりません。

和尚さんに頼んでくださいませんか。」

牛の背中には痛そうな傷がありました。

かわいそうに思った石人は和尚さんに話してあげました。

それから、牛は寺の人に大切にあつかわれ

残りの三年をつとめ終えるとどこへともなく去ってしまい

二度と姿をあらわしませんでしたとさ。

サンプル画像