風化させてはならぬというものの、神戸からの報告



02.01.12
 震災を風化させてはいけないというものの、風化は確実に進んでいる。
 少なくとも私は記念日的にしか考えないようになっている。
 この冬休みに家内の実家である淡路に帰り、野島断層を見た。記念館が
 できてずいぶんと日が過ぎているが、はじめての訪問だった。
 震源地に残った縦と横への断層のずれは想像以上のものだった。
 野島からはじまった地の波が神戸に伝わってきたときのことをいやでも
 思い出した。震源地に立った家は記念館となっていた。鉄筋で作られた
 立派な家なのだが、部屋の中に立っていると床が水平ではなく、平衡感
 覚に狂いが生じて気分が悪くなる。前の住人は震災後、数年素見続けて
 いたらしい。
 台所に残った残がいを見ると、音になって記憶がよみがえってきた。
 あの日の5時46分は真っ暗だった。真っ暗な中で家中がゆすられ、激
 しい音が鳴り響いていたのだ。
 昨年、担任した生徒の一人は中央区のマンションが全壊し、市役所への
 避難生活の間にアトピーと喘息がひどくなり、大阪へ一時移り住んだが、
 大阪の小学校でいじめにあって不登校になった。大阪にいた2年のうちの
 1年を完全に学校に行かずに暮して、私の勤務先に入学してきた。彼女は
 今、元気に学校生活を送っている。その心のうちにひそんでいるものを、
 まわりの私たちは意識することはないが、彼女自身はそこから完全に自由
 になったわけではないのだろう。
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