なぜ続けるのか、神戸からの報告



 私の書く文章など、なんの新鮮味もないことはわかっている。
 実際に書くべきことをもたないのだからしかたがない。
 しかし、あるできごとを記憶するための努力ということを真剣に思うのである。
 たとえば、戦争。
 たとえば原爆。
 五十五年以上も経過したできごとを記憶するのに要する膨大な労力。
 それでもそれを忘れようとする膨大な負の労力もまた存在する。
 私にはこの震災を伝える資格はないが、記憶する労力がどれほどいるかを自ら確認
 しようと思っているのだ。
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