テレビの特集を見るにつけ、神戸からの報告



 子どものころからお世話になっていた眼科医ば医院を廃業した。

   弱視治療の先駆者のひとりで、私は日本で本格的に弱視のリハビリがはじまった
 ころの患者のひとりであった。結局、私のリハビリは失敗に終わるのだが、彼は
 失敗例を学会で発表するという勇気ある行動に出て、学会から非難されることに
 なる。

   彼は東灘区で開業していて、震災で深刻な被害を受けた。無事だった高価な検査
 機器を持ちだそうとするが、すべてを持ち出せないまま、泥棒にあって盗まれて
 しまう。そして近所の娘さん宅に避難していたところ、今度はその娘さん宅が火
 災に合い、焼け出され、斬るものもない生活を強いられる。

   それまでの患者がいるために、急にやめるわけにいかず、別の場所で細々と開業
 していたが、パーキンソンにアルツハイマーを発病し、ついに廃院となる。

   若いときによい時期があたあとしても、晩年の悲惨は本当のつらい。震災がなけ
 れば、普通に引退し、悠々自適の生活があったかもしれぬが、残されているのは
 病気との戦いだけだ。11年に及ぶ父の介護を経験した私には、介護の地獄が手
 にとるようにわかる。

   今日が父の、教会の墓地への納骨だった。

   神戸市の宣言する8割復興の言葉は、私のように被害から遠いところにいる人間
 はごまかされてしまうが、多くの商店が廃業をよぎなくされたあちこちの市場を
 見れば、どこまでを残りに2割に含めているのか、はなはだ疑問である。

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