2000年になりましたがまだまだ続く、神戸からの報告



 昨年末は小火まで出して、まだまだ後始末ができないうちに年を越す
 ことになりました。震災の時、我が家(灘区)の窓から直後に見えた煙
 は六甲道近辺のものだが、最初の揺れで電気が止まり、できるだけ早い
 復旧をと電気を戻したところ、漏れていたガスに引火した火災が多いと
 聞いた覚えがある。水なしのところへの火、どうしようもなかっただろう。
 

 長田での大火災もなすすべなく燃えるのを見ていなければならなかったの
 だが、今さらながら、なぜ空から水をぶちまけなかったのだろうと思う。
 人が焼け死ぬのを救えなかったということももちろんだが、生き残った
 ものにふりかかった生き続けていくための地獄の苦しみもまた、少しでも
 救えたのではないのか。震災を理由に火災保険が支払われず、仕事も失い
 自然災害だから税金を投入するわけにはいかないなどと政府は言っている
 が、そのわりには、はっきりとした人災、それも特定しようとしないだけ
 で、加害者だっているはずのバブルの犯罪、金融機関には湯水のように税
 金を投入しているというのはどうも釈然としない。

   時の政権が社会党の村山富市だから危機に対応できなかったんだと、メデ
 ィアにむらがる評論家は言っていたが、政府が社会党であろうが自民党で
 あろうが政治が民に向いていたことのない日本のすべての政治家がだめだ
 と、どうしてはっきり言ってやらなかったのか。

   政治が手をかさなければ、金のあるところから復興していき、金のないと
 ころはのたれ死ぬしかないというのが、今度の震災ではっきりとわかった
 はずだ。にもかかわらず、一部の利益のために(その一部が本当に存在し
 ているのかどうかさえ疑わしい。必死になって雇用が促進される、経済が
 浮揚すると、夢を描いているだけではないのか)空港を作ろうとしている。
 もうたくさんだ、と民が叫んでいるのに、政治屋どもは耳を貸さない。

   民は苦しんでも、政治は何も学ばない。これが今回の震災の教訓だとする
 とむなしいかぎり。2000年問題にしても、これさえ利用して2000
 年対応グッズを売ろうとする金の亡者の踊りを見せられているだけのよう
 な気がして、なんとなくいやになる。震災の時に、ポリタンクや焼き芋を
 信じられない値段で被災地に売りに来た連中のことを思い出す。要するに
 何をしても、さもしさを隠すことのできない国ということなのかもしれな
 い。2000年の朝に何が起こったかについてはまた後日。

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