もしもあのときであったなら、神戸からの報告

 

 もしも先日の火災が震災の時であったなら、電気のコードに走った
 一条の火花ですべてを失っていたのは間違いない。

   水はなく、家中に燃え広がっていただろう。なすすべなく逃げ出す
 よりしかたなかっただろう。逃げ出して家が燃えるのを眺めるより
 しかたなかっっtだろう。

   家を燃やし尽くした炎が隣近所に燃え広がるのを眺めているよりほ
 か、なかっただろう。

   たとえ震災当日から数日経過していたとしても、震災の影響による
 火災だとして、火災保険の対象にならなかっただろう。

   もしかしたら家族の誰かが煙に巻かれて命をうしなっていたかもしれ
 ず、みんなが生きているからこその生きていく気力をも失っていたか
 もしれない。

   そんな光景が震災の後の窓からの景色やニュース映像の中であったのだ
 と思うと、手を合わせ、目を閉じずにはいられない。

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