火事がありましたが無事だからこそ、神戸からの報告

 年の暮れ、子供たちが家庭教師にきてもらって学習中、子供部屋より出火
 家には私達夫婦はいなかった。延長コードをつかってオイルヒーターとホ
 ットカーペットを使用中、熱量が大きくなりすぎた模様。いつもはどちら
 かひとつしか使っていなかったのだが、寒かったので両方ともつけてしま
 ったらしい。カチカチという時計のような音が二度して、二度目にコード
 そのものから発火し、ベッドの布団に引火。

   家庭教師(阪大工学部の女子大学院生)が冷静に対応。濡れタオルをかけ
 て火の勢いを押さえ、その上から水をかけて鎮火。しかし、化繊が燃えた
 ために煙がすごく、消防に電話。現在鎮火していること、発火原因などを
 冷静に報告。同時に私の外出先にも連絡。妻は義父の命日で実家にいたが
 そちらにも連絡。

   私が車で家に戻ってくると、道路はパトカーに封鎖されており、内心あせ
 るが回り道をして、家の近辺まで行く。消防車とパトカー、救急車を見る。
 一旦、鎮火しているものの再発火の恐れがあるために、念のために放水した
 とのこと。家中水浸し。前もって防水シートをかけていてくれたところもあり、
 被害は少しは少なくすんだ。

   その後、現場検証、長所。子供たちも落ち着いていた。家庭教師は近所に住む
 自分の母親にも連絡し、子供たちが動揺してはいけないとの配慮までしてくれ
 ていた。台所にある消火器を次女が持ちだしたようだが、とっさに使い方がわ
 からなかったのと、家の中を粉末で汚すのでhないかとの配慮もどこかにあった
 かもしれない。

   いずれにしても誰も煙を吸ったり、やけどを負ったりしなかったのは奇跡。

   すぐに家の中を片づけ始めるが、なにをどうしてよいのかわからない。

   しばらくして損保に勤める兄より電話。現場写真を撮るように言われる。
 保険の約款など読んだことがないので、一部はすでに片づけてしまったあ
 と。平時でさえもこんなふうに動転しているのだから、震災の時などどん
 なふうだったのだろう。もちろん天災のために保険の対象にならなかった
 ものがほとんどなのだろうが、震災から数日後の火災など、割り切れない
 ものがたくさんある。

   10月に11年間、病気療養中(ずっと心が休まることはなかった)の父
 が死に、二年前に白血病で亡くなった義父の命日に墓参りに妻が出かけて
 いたときの出来事。我が家に平穏な年末が訪れるのはいつのなるのだろう
 か。その間に私自身の癌の手術もあった。そして震災もあった。いわゆる
 ライフライン寸断の中で一級障害者の父親を抱えて途方にくれていたとき
 のことを思い出す。

   とにかく人の命に別条がなかったから、こんなことをのんきに書いていら
 れるのだ。震災の日からはじめたこの報告そのものも、やはり家族に犠牲
 者がなかったからはじめられたのだ。そして今日まで延々と続いていると
 いうわけである。

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