「それにしても」の大行進です、神戸からの報告




  99.10.3 東海村の事故の話がニュースで伝わってくるたびにその内容の
お粗末さと深刻さに愕然としてしまう。95年2月、阪神大震災の直後に
危機管理の問題が諮問されたときに、原発の事故は本来起こるなずのない
もの、危機管理の対象に入れると、いたずらに国民を不安に陥れる可能性
があるという理由で省かれたという話を、佐々淳行がしていた。

起こるはずのない事故が、単なる「人為的」なミスで起こったというような
矮小化する発言がすでにあちこちから聞こえてくるが、「人為的」でない
事故など、果たして存在するのだろうか。大震災のような「天災」そのもの
は人為的でないにしても、震災によってもたらされた被災の中に多くの人為
的な被害があったのをよもや忘れたわけではあるまい。

それにしても、あんな危険なものをバケツで運んでいたとは。
それにしても、事故を通報したとき、消防にはただ人が倒れているとしか告げ
なかったとは。
それにしても、原発にも原子力関連施設にも、警棒をぶら下げたガードマンし
か突っ立っていないとは。
それにしても、内閣改造らしいが、閣僚の中で唯一の専門家である有馬大臣の
留任が話題にも上らないとは。
それにしても、数時間の工程を省略するほうが安全よりも優先されるとは。
それにしても、危険だから退避せよ、安全だから戻ってよいと、どう危険で、
どう安全なのか、すべての情報を公開して、安全かどうか住民に考えさせる機会
を作らないとは。
それにしても防災服が一着もないとは。
それにしても、中性子を防ぐ防災服そのものが作りようがないとは。
それにしても、そんなにも危険なものを扱っていながら事故が起こるはずはない
とは。
それにしても、こんな事故を起こしておいて、原発反対につながることだけを
防ごうとするとは。
それにしても、それにしても、それにしても。
原住民が手に入れた原爆を天秤棒でえっほえっほとかついでいく、筒井康隆の
「アフリカの爆弾」ではないではないか。
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