豊かな国の姿ですか、神戸からの報告

98.3.23 父の目が突然動かなくなって、脳梗塞が再発したの
ではと親類がやっている脳外科に緊急入院。診察してもらった
ところ、嚥下機能が低下しているために、水分を十分に摂取で
きず、脱水症状があり、そのため一種のてんかん発作が起きた
のではないかとの診断。脳をやられると、実にさまざまな現象
が引き起こされる。医者の手を借りなければ点滴はできないの
で、家に戻っても大丈夫なように腹部に穴をあけ、胃に直接水
を流し込む方法を取らなければならなくなった。水分だけを管
から入れ、固形物はできるだけ口から入れるようにするのだ。

 病院は兵庫区にあり、震災の被害の大きな長田に近く、病院
そのものも震災にやられ、場所を移して新しく建て直したもの
である。患者の中にも震災で大きな被害を受けた人がたくさん
いる。

 明日、退院していく隣の人は、震災で家が全壊し、娘の家に
厄介になっているという。前にロングステイの申し込みをすると、
二百人以上の人が待っていて、下手をすれば二年とか三年待たな
ければ入れないと書いた。ロングステイで入所している先からの
入院の人で、三ヶ月以上施設を離れているとロングステイの権利
を失うということで、三ヶ月目に入る明日、病状とは無関係に退
院をしていくわけである。

一国の総理の母親が九年もの間、国立病院に入っていることが、
総理の動向を記した新聞記事から疑問を抱いた投書が出ていた。
国会でも厚生大臣に質問があり、医療上の必要から入院が継続して
いる、なんら疑問がないという返事であったが、検査をして治療
対象の発見できない脳血管障害患者などひとりもいないのだ。

 付き添っている奥さんが、明日は施設の人にまかせてある、施
設の車が来るからそれに乗せてくれ、自分は来ないと言って帰っ
て行った。特養の費用は、その人の年金額により違ってきて、20
万円以上必要な人もいるが、その人の場合、6万円ですべてがま
かなわれる。奥さんは震災で家を失い、娘に厄介になっているが、
奥さん個人に対する年金があったとしても、病気の亭主と同額か、
それ以下であろう。そして入所の時に、所内で死亡した場合の葬
儀の相談も前もって行われている。30万円の葬式でかまわない
かと聞かれ、はい、それでお願いします、と答え、30万円を用
意しておくと、家族はなにも関らなくても、葬儀が終わり、遺骨
にまでなって家に帰ってくるわけである。

 父の向かいの患者は五十代でくも膜下で倒れ、この病院で助か
り、その後、五回脳梗塞を起こして、その都度助かって、結局
二十年生き続けている人がいる。奥さんはほとんど見舞いに来ず、
娘がずっと世話をしている。奥さんがパートで長く家計を支えて
きたが、震災で仕事を失っている。半身にマヒがあり、当然、普
通の行動ができず、そんなことしたら、恥ずかしいやないの、気
がねやないの、と始終、ひっぱたかれたり、どなりつけられたり
している。その人に嚥下機能のおとろえで、食事をするときに激
しく父がえずくと、うるさい、とどなられるのだ。

 震災の被災者に投入されなかった公的資金が、銀行に投入され
た。今度は株価維持に公的資金を投入するそうである。しかも、
企業の3月決算期にあわせての、経済政策だそうである。国ぐる
みの大掛かりな粉飾決算をしようというのである。大蔵省の接待
なんて生易しいものではなく、国ぐるみ、資本家から接待を受け
て、利益供与している構図がこうまであからさまになってくると、
本当にいやになる。

 父は老健施設にミドルステイで入ることになっている。しかし、
最初、胃への管を入れた老人を預かった経験がないから、所長
(医師)の許可がいると言われた。今入っている病院の院長から
直接説明してもらうと、問題なしと許可が出た。その許可を持っ
て受付に行くと、直接世話をするのは、所長やないから、とその
受付の人が言う。福祉といえば聞こえがよいが、弱者は弱者であ
ることを日々思い知らされて、生きていかなければならない。

 父の処置が終わるのを待っていると、同じように待っている女
の人が、もうだめだ、だめだと言われて運び込まれて来るたびに、
助かっているんです、私にとっては助かってもらいたくない人な
んですけど、などとぼそっとつぶやいた。その人もまた避難所生
活を経験している。これまでの夫婦の在り方が、あんな言葉をは
かせるのか、あるいは多いかぶさる経済の負担のせいなのか、そ
れはわからない。

 私はコープリビングセンターに点滴用の台を買いに行った。
腹部からの水を入れるのに、必要なのだ。リビングセンター
は被害のひどかった東灘区、甲南市場の東にあり、震災で全壊し、
新しく建て直されている。1,2階は生活用品の売り場だが、デ
イケアサービスの施設もあり、介護用品を扱っているわりと大き
な場所があるのだ。車で二号線を走るのは久しぶりだったので、震
災後の景色の変化にいちいち驚きながら、直後の様子を思い出して
いた。


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