救済のない国です、神戸からの報告

98.3.15 地下鉄サリン事件から三年である。サリン事件は病院に検査
を受けに行ったとき、待合所のテレビで見た。その日を境にマスコミか
ら次第に震災報道が少なくなっていった。テレビで震災を見ることはほ
とんどなく、もっぱらオウムを扱うようになった。オウムは人災で震災
は天災で中身は違う(からどうだと言われても困る)。

新聞の見出しに「救済のない」国に不信とある。銀行や証券は「社会主
義体制」で保護し、医療にしても介護にしても、これまで国民の権利
(権利は利権、利権に過ぎないひとたちも大勢いた)と思われていたも
のが、次第に削り取られ、いわゆる弱者の部分は「自由主義経済」とし
て、競争にさらされ、自助努力を求められている。資本家のための社会
主義、国民のための自由主義経済、どこかおかしいのではないか。

国を守る意識を育てろと言うひとたちがいる。そのために憲法も改正せ
よという。あのひとたちの言う国というのは、国民を含んでいない機構
としての国に過ぎない。この国が国民の権利を自分たちを取り巻く社会
主義体制グループの利権に優先させたことなど、一度もないのではない
かとしみじみ思う。


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