あれから「もう」三年である。
あれから「まだ」三年である。
まもなく、二年目の年が終わり、三年目の年があける。
あのときもなんでもない年末であり、新年であった。
「もう」と「まだ」の間には、どんなへだたりがあるのだろうか。
特別養護老人ホームのミドルステイで父を預かってもらっている。機
能はますます低下するばかりで、家での介護はさらに困難になってくる。
それに反して、父自身は、以前よりもつらい状況のはずであるのに、表
情がおだやかになり、わがままを言わなくなった。何も言わないことが、
家族にはかえってつらい面もある。こんな言い方がよいのかどうかわか
らぬが、脳梗塞を発症して九年間、死に直面し続けてきた父の「位」が
ひとつ上にあがったような気がする。家での介護がさまざまな事情から
困難になり、最初にホームに連れていったとき、「あずける」というよ
りも「捨てる」という言葉が頭に浮かんだ。どう弁解したところで、親
を棄てたのだと、自分を責める気持ちが強かったが、そういう心をお見
通しのような父の微笑が、かえって胸に応える。
三ヶ月経過して後、次にどうするかという相談を区役所の担当者とし
たとき、現在、ホームへの入居を待っている老人は区内に二百人いて、
五年以上待ち続けている人もまれではないと聞いた。身寄りのない老人
の場合、沖縄の施設にまでお願いしたことがあるとのことだった。
ここで三年目の話である。震災の時に、三年の約束で県外の施設に、
相当数の老人をあずかってもらっていて、その期限が切れるというのだ。
その老人を優先的に市の施設で引き受けていかなければならないので、
二百人の入居待ちの人の上に、さらに人数が加わるということである。
私の家族の前に突きつけられた震災三年目の現実である。
とにもかくにも、あれから三年だ。
ちなみに一年目と二年目の記録を見てみる。
96/1/17<br>
午前六時に目が覚める。昨夜から吐き気と下痢、流感かもしれ
ない。長女の病状はもっとひどく、夜中に何度も吐いていた。昨
夜、しんどいので八時半くらいには床についた。それからしばら
くして子供部屋を見に行き、タンスの位置はどうだったろう、本
棚はどうだったろうとつい見に行ってしまった。そして再び床に
着く前に、妻に今夜は風呂の水はぬくなと言っておいた。病気の
時に味わったのと同じ記念日症候群とというのはわかっているが、
それでも一年に一度、防災の気持ちを思い出すのは必要なことだ。
中略
病院への行き帰り、車から何度もバイクに乗った僧侶の姿を目
にした。二日ほど前、妻は短大の同級生のところへ一周忌のお参
りに行った。東灘区深江の辺りで家は全壊し、両親は助かったが
一人娘であった同級生は即死。仮設住宅の祭壇には、晴れ着姿の
写真があった。アルバムのたぐいはすべて失い、遺影にするもの
もなく困っていたところ、かつて、成人式のおりに記念写真を写
した写真館で奇跡的に二十年近く前のフィルムが保存されていて、
それを焼き付けてもらったそうだ。
後略
97.1.16
96年1月16日の日記を見ると「曇り。体調悪い。吐き気。」
とだけ書いてある。ファイルメーカーで作った10年連用日記を
おもしろいと思って、95年の5月くらいからつけている。この
日は相当に気分が悪かったのであろう。わずかこれだけの記述し
かない。もっとも、気分がよかったとしても、その2、3倍の記
述しかないから、いずれにしても大したことはない。96年1月
16日は、気分は悪いが、普通の明日が来ると思っている。そし
て96年1月17日は、「晴れ。吐き気。下痢。欠勤。」という
ことで、もっと気分が悪くなってしまったのである。
95年1月16日はなにをしていたのだろう。気分はどうだっ
たのだろう。風邪は引いていなかったと思う。たしか15、16
と連休で、明日は学校か、いややなあ、くらいのことを言ってい
たはずだ。それが毎週、おそらく小学校へ入学以来、この年にな
るまで続いている休み明けの心境だから、おそらく間違いない。
憂鬱であろうが、吐き気がしようが、翌日があることを疑うこと
などまるでなかった。
しかし、あの1月17日が来たのである。普通でない日が来て
しまったのである。私にとっての普通でない日は、すでに終わり
を告げているが、いまだに普通でない日が続いている人もいる。
普通でないことそのものが、「普通」になった人もいる。
後略
98.1.17は、新聞ではじめて、三年前にああいうことが起こったと確認
する人が増えているだろう。公的支援に税金は使えないと言い続けてきた
政府が、金融破綻の被害者に公的資金を使おうとしている。株に興味のな
い私には、リスクを承知で甘い汁を吸おうとした人に対して、公的資金を
使うことができて、震災にやられた人に資金を使うことができないという
根拠がわからない。
経済の大ピンチ(誰のための経済なのか)を救うためというが、救いよう
のない国がどう転ぼうとも、俺の知ったことではないと叫んでみたい。
老人問題を若い世代への負担の押し付けというとらえ方をするのではな
く、平均寿命が80年とすれば、潜伏期間80年という死を胚胎して、す
べての人は生まれてくること、性教育の果てにあるもの、死は誰にも訪れ
ずれるが、訪れ方はさまざまであることなど、もっと伝えなければならな
い。この国の「経済音痴」の政治家も官僚も、老人を「経済」の面からの
みとらえすぎている。震災もその問題点をあからさまにして見せてくれて
いる。
次へおすすみください。
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