クリスマス・イブです 神戸からの報告

97.12.24
 今日はクリスマス・イブ。
 午前中から昼過ぎまで、義母に頼まれた買い物。
 午後、ホスピスに義父を見舞う。

 私は、四年前、同じ病院の三階に入院していた。その時はまだホス
ピスも計画の段階だった。ちょうど震災のあった前の年の後半から、
現在の半分のベッド数で試験的にホスピスがはじまったそうである。
震災の時は、医師1,看護婦6のまだ少ないスタッフで運営していて、
他のベッドは震災の被災者で埋め尽くされ、ホスピスとしての機能が
マヒしていたそうだ。そのときにもやはり、ボランティアに登録して
いる人が駆けつけ、五階までの水運びをやってくれたと、病院が出し
ている震災の記録には書いてあった。

 リビング(というのがある)でちょうどクリスマス会がはじまった
ところ。ボランティアの母親がピアノを弾き、娘がフルートを吹き、
ホスピス部長の女医さんがバイオリンを引く。それから看護婦の聖歌
隊。続いて看護婦たちの聖劇。患者と患者の家族で「サイレント・ナ
イト」を合唱。それから博士や天使のコスチュームを身に付けた看護婦
達が、天使にラブソングを歌い、踊る。そして最後は、もうひとりの
医師が扮したお決まりのサンタクロースがプレゼントを配って回る。
赤い衣装をつけたトナカイがわりのレトリバーも愛想をふりまく。レ
トリバーは末期患者のひとりが部屋に飼っているもの(ホスピスでは
そういうことも許されている)だ。

 すべてが終わると、ボランティアの皆さんお手製のケーキとか飲み
物が振るまわれる(クリスマス以外のふだんの日でも、三時になると
ボランティアの人が、部屋に来ている見舞客の分までお茶を入れてく
れる)。ほとんどは女性で、ひとりだけ年配の男性もいる。

 義父は部屋に寝たまま、見物にいくことができなかった。リビング
でのパーティーが一段落すると、看護婦とドクターはそれぞれコスチ
ュームを身に付けたまま、部屋を訪ね、言葉を交わし、聖歌を歌って
くれ、サンタはプレゼントを手渡してくれた。義父はクリスチャンで
もなんでもなくいが、看護婦の扮装とその配慮に涙を流し、出ない声
を精いっぱいに出して、感謝の意を表していた。
「今日はな、わしの一生で最良の日や」
 と義父が泣きながら、看護婦や医師に叫ぶのを見ていると、こちら
も涙が出てきた。落ち着いてうまく描写することはできないが、月並
みな言い方をすれば、映画の1シーンのようであった。さまざまな場
面でクリスマスを体験してきたが、そのなかでももっとも感動的なも
のであった。

 今日はとても有意義に過ごせたのだが、その一方で、特別養護老人
ホームにいる父を見舞うことはできなかった。父は孤独なクリスマス
・イブを迎えている。明日は父に会いに行くつもりだが、私が行くこ
とでいかほどのなぐさめになるのか。

 社会保険が運営する施設であったか、特別養護老人ホームであった
か、話が交錯してわからなくなっているのだが、現在のミドル・ステ
イから、今度ロング・ステイの申し込みをしようとすると(200人
待ちという話は、前に書いたと思う)、当人の収入によって、負担し
なければならない金額が変わってくる。

父の年金は月額30万円を越えているので、7割の負担ということに
なるらしい。つまり、仮に30万円なら21万円が施設に支払わなけ
ればならない費用なのである。それはもしかしたら妥当かもしれない
が、問題は母である。母は残りの3割、つまり9万円で暮らさなけれ
ばならないということになってしまうのだ。

 震災の被災者には公的資金の援助を出せないが、金融破綻には公的
資金をつぎ込める国の仕組みなのである。税金のむだ遣いを棚に上げ、
数の増える老人を若者への負担の押し付けという言い方で、人間とし
てではなく、増税するために「経済」原理としての見方を国民にマイ
ンドコントロールしておいて、「心の教育」に56億円というのだか
ら、お笑いだ。

 長生きした志賀直哉に弟子の網野菊は「人間はいつ死んでもいいと
いう覚悟よりも、いつまでも生きていていいという覚悟を持つことの
ほうが大事だ」言ったそうだ。いつまでも生きている、というのは、
いつまでも生きていなければならないということも含んでいて、死に
まつわるいろいろなものを毎日見せられていると、複雑な気分がして
くる。

 夕刊のテレビ欄を見ると、NHKで「老後だれとどこで過ごします
か」というタイトルの番組があるそうだ。私は、見るつもりはない。 へおすすみください。
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