忘れたわけではありません、神戸からの報告



97.12.6 私の住む町内では、火曜日が普通ごみの日、水曜日が隔週で荒ごみの日になっている。当たり前にように、山積みにされたごみが、ある時間を過ぎると何もない状態になっている。当たり前でなかったのが震災の時で、ごみの収集というのが、かなり長い期間なかった。そして不思議なことにカラスの姿も見かけなかった。朝、ごみの日にカラスが生ゴミの袋を破り、残飯をあたりにまき散らしているのを見るたび(個々の家庭のDNAがあからさまにされたような羞恥と同時に)、そのことを思い出し、安心したりする。

 震災のあとの町には、あちこちに壊れたままの家があって、平常時から比べると当たり前でない光景が、当たり前のものとして存在していた。壊れた家というのは、いわば「ごみ」であるわけだが、その「ごみ」が置き去りにされた状態を見るたびに、時間が止まっていると思えてならなかった。

 昔、テレビでサブタン(記憶が怪しい)とかいうふうなニックネームで呼ばれる少年が「時間よ、とまれ」と呪文を唱えると、ブラウン管の中に出現した奇妙な空間にそっくりだった。時間が止まっている間のできごとを見ることができるのは、時間を止めた少年と、ブラウン管をながめている視聴者だけであった。震災のあとも、もちろん時間は変わらずに経過していたのだろうが、体に感じる時間というのは、実にゆっくりしたもので、時には静止しているようにさえ感じられた。

 もうすぐ三年目を迎えるわけだが、時間が静止したままの人と、時間が矢のように流れていく人とが、同じ町に暮らしている。そして震災との関係が希薄になった私たちは、時間を止められている間に、少年がなにを行っているか知らずに日常生活を続ける、視聴者には間抜けに移った登場人物の生活を送っているのではないかと、ときどき思ったりする。

 国鉄債務の膨大さや、金融破綻のたびに投入される公的資金の金額、市場が混乱し、金がない金がないと言いながら、隣国韓国の経済危機に貸し出される金額の大きさ、ワールドカップ予選の見物に数万人が押し寄せたということ、日本が出場する本選の入場券が10万円になるとかいうようなこと、厚生年金の資金が不足し、このままでは67歳にまで受給年齢が引き上げられるかもしれないこと、負担が増え、受給額が減るかもしれないのに、医療費は値上がり、介護保険料まで負担しなければならないこと、勤続25年の国会議員に議員歳費のほかに月額35万円の交通費が支給されること、百万円の肖像画、消費税の5%というのは、実は商品価格の1割の半分だったということ、打率5分の一軍選手はいないけど、1割台の一軍選手がわが阪神タイガースにいたりすること、被災者に対する援助法案が国会で審議されるまでの間に、こういういろいろなことが社会では起こっているのである。

 脳梗塞で倒れて9年目を迎えた父は、今、特別養護老人ホームに、ミドルステイという形であずかってもらっている。介護の主役をになってきた母が、疲れ切り、どうにもならなくなったせいだ。隣に住んで介護の手助けをずっとしてきた私も、家内の父親が白血病でホスピスにいる状態が続いている。介護保険の実態をニュースの解説などでみながら、審議した議員や役人のうちのどれだけの人が、その実態を把握しているのかと腹が立ってくる。

 老人ホームの光景というのは、どこか「2001年宇宙の旅」とか、「スターウオーズ」とか、コンピュータグラフィックスで作った殺伐とした光景と、どこか似ていると思ってしかたがない。15人の要介護状態の老人に対して、職員が二人だけという、たとえば食堂での食事風景をながめていると、ホスピスの方がよほど明るく、将来の自分が行きたい場所としては、癌の恐怖を一度味わっているにもかかわらず、ホスピスかもしれないと、つくずく思う。ショートステイやミドルステイの中身は、介護できない状態になった家族が一時的にあずかってもらうということが多いので、家族の姿はほとんどない。しかし、ホスピスには、必ず、患者を支えようとする家族の姿がある。

 学校の帰りに父を見舞うたび、
「生きていること自体がしんどい。神様がお許しくださらないから、まだ行けない」
 というようなことを口にし、そのあとホスピスに義父を見舞うと、隣の部屋の人が昨日死に、一昨日はその隣の人が死ぬというのをながめながら、
「次はわしかいなあ」
 というふうにつぶやいている。

 今なお残る仮設住宅の光景というのはどういうものであろうか。自力で立ち直れる人はとっくに出ていってしまった。なんらかの補助や手助けを得て立ち直れる人は、次に出ていってしまった。今残っている人たちは、本当にどうすることもできない人たちだ。酒を飲み続けて、緩慢な自殺をし続けている人もいる。死というものは、だれにも訪れるものであるが、仕事に忙しく、あるいは楽しいことをして時間を費やし、死を忘れていられる人はまだよい。

 私自身、癌の告知をされて、4年目を過ぎた。先週、定期検査を受けて、とりあえずは合格し、ほっとしているところだが、3年目くらいまでは、耳に紛れ込んだ毒虫みたいに、死の恐怖が、うっとしい羽音を立て続けていた。ただ音を立てるだけだはなく、いつ毒針を突き立てられるかわからぬ恐怖にもさらされ続けていたのだ。

「死」が「観念」ではなくなった人にとっての、つきつけられた死をじっと見つめているしかない時間のとほうのなさ。

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