夜逃げだそうです、神戸からの報告

97.9.18
 震災が終わったかというと、そうではなく、東灘のあたりは次々と復興している
のに、長田を中心とする個人商店の多い西側は、全く復興のめどすら立っていない
場所がたくさんある。東西格差が広がりつつあるというのが、現状だ。震災は終わ
ったわけではない。

 テレビのニュースで、アルコール漬けになった被災者のインタビューを見て、
ショックを受けた。金を使い果たし、一日、百二十三円とか二百五十八円とかいう
金で生活し、生活保護を受けらどうかと問われたのに対し「国から金をもらうのはしゃくや」と言って、泣きじゃくり、カメラが構えている前で、酒を買いに出て行
ってしまった。アナウンサーが「どうしてお酒を飲むのですか」などとばかげた質
問をしたのには、あぜんとした。彼は、間違いなく、緩慢な自殺を企てているのだ。考える間もなく、瞬時に命を奪われる死もあれば、長い道筋をたどって、死に到達
しなければならないこともある。

 脳梗塞で半身不随の父は、死んでいったひとはみんなえらいと思う、という表現
で、簡単に死に至ることのできない生の苦しみを表現した。

 松田道雄氏の「安楽に死にたい」(岩波書店)という、今年出た本の題名を見て、
かつて安楽死に反対していた氏がと、最初、ショックを受けた。松田氏とは学生時
代に何度かお宅にお訪ねして、話を聞いてもらったことがあった。物を書き続けな
さいと勧めてくれた一方で、専業作家になってはいけない、小説は虚業、実の部分
がなければだめになるみたいなことを言われた。私は別にその教えを守っているわ
けではなく、作家として自立できずにうめいているのだ。

 八十半ばを過ぎて、二十年近く、交通事故の後遺症、さらに脳梗塞という病気を
起こした奥さんの介護を、先生自身が続ける中から出てきたうめきみたいなものに、共感を覚えた。

 大学を定年で退官したとち、ハンセン氏病患者の隔離問題の研究をはじめていた父は、いつ頃からか、それで学位論文を提出したいと思いはじめていたようだ。ところが、父の問い合わせに対して、元いた大学から返事があって、論文を受理するのが困難であるというふうなことが書いてあった。そしてその手紙を見た瞬間から、突然、父の症状が悪化した。父は論文の構成を考えているかぎり、孤独ではないと常々言っていた。本のページを繰ることもできず、母に読んでもらうのをじっと聞いているだけの父に、論文をまとめる力が実際にあるのかどうかわからないが、ベッドと車椅子だけの生活の中で、それが唯一の生きがいであったのだ。仮設で酒を飲み続ける被災者のように、もう終わりにしたいと毎日訴えつつ、過ごしている。父の体を動かそうとするとき、自分の力でどうにかする気力を失い、肉としての体の重さが、私たち、家族を押しつぶしそうになる。

 センチな言い方になるが、魂というのは、人を飛翔させる力があったのだと思う。あるいは第三の足と呼んでもいいかもしれない。それが抜けた肉の重さと言ったら、砂袋とか水の入った樽とか、そういう重さだ。眠っている赤ん坊を抱いてみるとよい。起きている赤ん坊の重さと、物理的に同じとは信じられないような違いだ。

 震災の後、大勢の人が、自らの肉の重さに耐え兼ねて、もだえているのだろう。そういう人の姿は私たちの目には全く見えてこない。神戸にいる私たちでさえそうなのだから、政府のある東京は絶望的だ。

97.9.18 今年は台風の当たり年である。家の近所に変電所があり、そのそばに震災のあと、すぐにブルーのシートを屋根にかぶせた家があった。直後には、そこら中にブルーの屋根が目立ったが、今では、私が犬を散歩させるコースの中で、そこ一軒だけになった。あまりにも長く、シートのままで、しかも色もあせ、所々に破れたあとが見えるため、すでに住む人がいないのではないかとずっと思っていた。

 ところが先日の台風の直前、ランニングシャツ姿の人が屋根に上っていて、ぼろぼろになったシートの上に、新しいシートを上からかぶせていた。その家の住人は、これまでも、これからもシートで雨露をしのいでいくしかないのだろう。

 震災のとき、大きな音を立てて発電機をまわし、トラックに積んだタンクに水を満載し、いち早く、普通の生活を送っていた家があった。水まわりの工事をする、小さな会社をやっているようだ。息子どもは、昼と言わず、夜と言わず、バイクのエンジンをさわり、激しい爆音を響かせ、そこらを走り回っていた。エンジン改造している最中に、ガレージで火を吹き、消防が駆け付ける騒ぎになったことがある。

 震災の後の建築特需が一段落し、今はもう利幅の少ない仕事しか残っていないという。震災を機に、神戸に出てきたプレハブメーカーの中には、支店を縮小するところも出てきているらしい。家を建てる余力のある被災者は家を建ててしまい、あとは土地はあっても経済的に再建が困難な所帯ばかりだ。公社が土地を買い上げ、かわりに50年くらいの長い借地権を設定し、その差額で家を建てる補助をするというような計画もあると聞く。父の家を建てた工務店も倒産した。バブルの崩壊と震災の両方で、どうにも立ち行かなくなったと社長が、「ご迷惑をおかけしました」というおわびとともに、震災後の建築状況を語ってくれた。

 そういう厳しい話を聞いていた直後に、水まわりの工事を請け負っている家の前に、夜中、トラックが乗り付けられ、家の窓から、荷物が荷台に向かってどんどんほうり投げられ、翌朝になると、誰もいなくなっていた。引っ越しというよりも、完全な夜逃げだ。隣の人も、向かいの人も、何があってどこに引っ越して行ったのか知らないと言うことだ。 へおすすみください。
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