地震、火事、台風、神戸からの報告

97.7.26 先日、午後7時20分頃、夕食を始めようとしているときに
廊下で子供の倒れる音がした。何事かと尋ねると「火事」という。指さ
したほうの窓を見ると、オレンジ色の炎がすぐそばに見える。火に驚き、
みんなに知らせようとしてこけたようだ。

 家からの距離をはかる。二百メートルは離れていない。上の子供の話し
によると、庭を掃除している家があり、そこで老人(あとで判明したとこ
ろによれば、85歳の人。幸い類焼も死傷者もなかった)たき火をしてい
たそうだ。煙がまっすぐ天に向かってのぼっている。天候がよいせいも、
凪の時間帯であるせいもあり、風がないのがなによりである。翌日には台
風が接近することになっていたから、もし一日ずれていたらとぞっとする。

 家の前に出てみる。消防車が集まってきて、通りの角かどに止まってい
る。よくわからないが、消火栓のあるところに止めて、ポンプ車を使って
水を押し出すのではないかと類推する。ホースをほどきながら消防士が現
場に近づいていく。現場ではすでに別の消防車からの放水がはじまってい
るのだろうが、私の前に横たわるホースはへらべったいままで、なかなか
水が送り込まれる気配がない。

 早くしろよ、と思う。震災の時には、こういう時間が何時間も続いたの
だろう。早くしろと言ってみたところで、水がまったくなかったのだ。十
数年前に東京の叔父の家が放火されたことがある。その時も叔父は、消防
に向かって、早くしろ、早く水を出せと、家が燃え尽きるまで叫んでいた
そうだ。

 火事が完全に鎮火するまで二時間近くかかっていたようだ。もう消えた
と思ったところから何度も煙があがり、また水をかけることを繰り返して
いた。その火事が一日遅れて起こっていたら、おそらくあたりは火の海と
なっていただろう。

 今、台風が来ている。四国沖から、まっすぐ近畿地方に向かって北上中。
今年はこの経路が台風の道となったのかもしれない。神戸を直撃というのは、
最近ではあまり記憶にない。来るぞ来るぞといわれながら、勢力が衰えたり、
きわどいところでどこかへそれたりしていた。

 台風の接近に前に、白血病で入院中の義父のところへ行った。制がん剤の
投与、そして中断、一時的な回復、そして再び制がん剤の投与ということを
幾度か繰り返している。医師の説明によれば、よい白血球も悪い白血球も、
制がん剤を使って、いったんすべてを焼き尽くす。焼け野原にしておいて、
そこにわずかに生き残ったよい白血球の再生にかけると、治療法の説明を受
けたとき、家族のほかのものはどうだか知らないが、私は震災の時の長田の
町の映像を思い浮かべていた。

 義父の病院はポートアイランドにあり、病室は西側に面している。コンテ
ナ埠頭と病院の間に、仮設住宅がある。そこにまだ六百人以上の人が住んで
いて、その人たちは小学校の体育館に避難しようとしていると聞く。前にそ
こに暮らしていた勤務先の元校長から、台風接近時にワイヤーを使って屋根
を固定するという話を聞いていたが、今度の台風はそれくらいでは危ないか
もしれない。

 今、パソコンでこの文章を打ち込んでいる私の部屋も、風にあおられ、激
しく揺れている。震災の時には、住宅メーカーが来て、パネル構造の家は震
災に強い、つぶれることはない、壊れるとすれば、そのままごろんと横にな
るだろうと言われたのを思い出した。震災には強かった、しかし、風に吹か
れたごろんと倒れた、なんてことになったらしゃれにならない。

 火事で焼け出された人は、その日、どうするのだろうと、家内が炎を見な
がら言った。近所の人が泊めてあげるか、警察、あるいは消防に保護される
のか、とかいろいろ考えたが、本当のところどうなのだろう。翌朝、犬を連
れて現場の前を通った。朝の六時半にすでに警察の車が止まっていて、ちょ
うど中に入っていくところだった、夕方の散歩の時に見ると、連絡先として
、ポートアイランドの住所が書いてあった。娘さんが住んでいるということ
だった。 へおすすみください。
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