神戸でさえも忘れかけです、神戸からの報告


97/7/14
 東京ではすでに震災のことが忘れ去られているように、神戸
でも私のようなものには遠いできごとになりつつある。これが
第211信であることも、あちこちファイルを探しまわらねば
わからなかった。とにかく神戸ではほかにもいろいろありすぎ
て・・・。

 先日、入院中の家内の父親を見舞いに、市民病院へ行った。家
内が夕食の世話が終わるのを待つ間、時間つぶしに地下にある散
髪屋に行った。かつてポートアイランドに住んでいたことがあり、
引っ越したばかりの14、5年前、どこになにがあるのかわから
ず、この店で幾度か髪を切ってもらったことがあった。

 髪を切ってもらいながら、ひさしぶりに震災の話になった。人
工島であるポートアイランドは液状化現象で1メートルくらいの
高さまで水があがり、店がつかいものにならず、営業を再開でき
たのは三カ月後ということだった。またJR六甲道に住んでいた
らしく、JRの高架が落下し、ジェットコースターみたいになる
など、被害のひどい地域だった。震災の日からしばらくは公園で
暮らしたらしいが、その日の夜、山の方で電気がついているのを
見て、被害の規模がどの程度なのか一瞬、わからなくなり、自分
たちのおかれている状況が夢の中のできごとのように思われたと
言っていた。

 私が住んでいるのも、六甲道から見れば山の方で、暗くなりか
ける頃に電気がついて、ほっとしたのを思い出した。それでも水
もガスもなく、不安が続いたのであるが、公園のテント村からす
れば別世界であったに違いない。

 先週一週間、雨が降り続き、宝塚では大きな被害も出た。近所
には消防車が出て、がけ崩れの危険がないかチェックしていた。
震災の時にも、わが家のそばのせまい道を消防車が赤いライトを
回転させばがら、幾度も通り過ぎて行った。震災直後であれば、
まちがいなく枕元に懐中電灯とらジオを用意し、緊急持ち出し用
の荷物をまとめておいたろうが、今はもうなにもしなくなってい
る。避難用の道具のかわりに、子供たちに持たせるようになった
は防犯ベルだ。 へおすすみください。
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