恐ろしい病気の告知を受けたとき、自分だけが置き去りにされた感覚があった。
しかし、震災の時は自分だけではなく、自分もどこかへ連れて行ってくれると
思った。しかし、時間が経つにつれ、淀川を渡り、大阪に行くと、震災は神戸
だけのできごとになっているのがわかり、驚いた。そしてあれから二年半、神
戸の中でもさらに震災はごく一部の地域の、ごく一部の人のものとなりかけて
いる。いや、すでになってしまっている。
白血病になった義父の病状は刻一刻変化する。極めて危険な状態であったもの
が、ホスピスに転院したとたん(最初の制ガン剤による治療効果が出てきたと
か、いろいろな要因が重なっている)に好転して、再び治療可能な状態に持ち
直した。次の治療をするかどうかを話し合うために、担当医は4、50分の時
間をさいて、患者をまじえ、家族と話し合いの時間をとってくれた。その間、
担当の看護婦もずっと同席して話を聞いていた。インフォームド・コンセント
というのは、本来、こうあるべきなのだろう。なんの可能性があるかという問
いに対し、十中八九、肝臓ガンだと、私自身が告知されたときの短時間の主治
医とのやりとりをつい思い出した。同じ病院の緩和ケア病棟と外科(緩和ケア
病棟ができたのは私が退院し、一年以上経過してからのことで、もしかしたら、
現在は多少事情が変わっているかもしれない。医者の意識に変化をもたらして
いることを期待する)でこれだけの違いがあるのだ。
人間の「死」には、こうやって手順を踏んで、場面場面で、本人がさまざまな
決断を強いられるものと、突然訪れるものがある。この世に生を受けたものす
べてが避けることができない死であるが、死そのものは平等であっても、死の
迎え方は決して平等ではない。
私は告知されたとき、恐怖にさいなまれ、秒読みのような状態にさらされるの
が苦痛で、突然でしかも一瞬のうちに、命を奪っていってもらいたいと切実に
思った。震災の死の多くは、まさに一瞬の死であったはずだ。一瞬の死には、
無念がつきまとう。だれのための無念であるのか。多くは残されたものが類推
する死者の無念であって、本当のところはどうなのだろうか。死は、ほかなら
ぬその人自身のものだと言い切りたいところだが、事実はそう簡単ではない。
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