俺に書く資格があるのか、神戸からの報告


97/5/22
 先日、夜中に地震があった。震度3。
 鹿児島とイランで大きな地震があり、イランでは大変な人的被害が出た。
 淡路の津名町の仮設住宅にいた人から、転居したという通知を受け取った。
 三月の終わりに第208信を書いてから今日までの、私にとっての地震は、文字にするとこれだけであるかもしれない。日常生活の範囲で、「地震」を目にすることは少なくなった。山を見れば、激しく崩れたあとがあったりするわけだから、むしろ風景に慣れて、意識しなくなったと言った方がよいだろう。

 家内の父親が、突如、白血病で倒れた。免疫力が低下し、ブドウ球菌という子供の頃、できたおできでおなじみの単純な細菌を、抗生物質を極量注入しても消し去ることができず、命の危機にさらされている。車で往復するのに6時間かかる病院へ土日ごとに行き、主治医と意見を交換した。

 本人はこれ以上の治療を拒んでいる。しかし、体液性のガンには制がん剤による治療が効果があり、かなりの確率で緩解状態を迎えることができるそうであるから、とりあえずの感染症を治療し、制がん剤を投与できる体に戻さなければならない。

 10年前に次女が川崎病にかかり(今は後遺症の心配は全くない)、八年前に父が脳梗塞で倒れ、四年前に私自身が悪性腫瘍にかかり、そして今白血病である。その都度、死について思いを巡らせてきたが、どのすべても自分が告知を受けた時以上のものではありえない。

 ガンの告知を受ける以前も以後も、自分の知識や感覚から他人の死を推し量っていたわけで、告知以後の方がより深く死を理解したつもりでいるが、死に接近しただけで、死そのものではなかった。震災による大勢の死者についての思いなど、いくら言葉に深刻な形容詞をまぶして書き連ねたところで、自分の死以上の物にはなりえない。私自身の心の限界なのか、イマジネーションの限界なのか、そもそも人間というのはそういうものなのか。

 今なお仮設に暮らす人の心理的圧迫感にしても、想像してあれこれ意見をのべることすらできない状況に、すでになってしまっている。アンネの日記を読んで、アンネ・フランクの拘禁状態の心理を想像するのと同じくらい、遠いことではないのか。私の中からすでに地震は消えかけている。夜中に揺れて、またくるのではないかとしばらく眠れなくなる程度の想像力でしかなくなっている。

 もうすっかりよくなったようですね、と言われると、なるほどその通りなのだが、どこかに違和感とか、恐怖感とか再発の危険性とか、いろんなものがあるのも確かで、そういうものを自覚していても、それを口にすれば、甘えとしか受け取ってもらえず、口をつぐむしかないことだって、いろいろあるものだ。地震についても、本人にしか、あるいは本人でさえもはっきりと説明のできないなにかが、物理的な被害のほかに残っているのだろう。 へおすすみください。
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