97.1.22 昨夜から雪。今もまだ細かい雪が降り続ける。寒い日になると仮設の生活を想像する。薄っぺらな工事現場の仮事務所と同じ作りの住宅が、きしみ、たわみ、すきまを作っていないはずがない。

留学先から一時帰国の教え子、震災のとき、神戸にいることができなかったから、どうしても行きたいと福井の重油回収作業に参加。若者のエネルギーに感心する。

総理大臣がカニを食うデモンストレーションをテレビで見て、あれがギャグだと思わずに演じられる厚顔無恥が恐ろしい。

97.1.24 社会党政権だから危機に対応できなかった、本格政権なら危機に対応できたという幻想が崩れ、今や、この国には頼るべき政治など望むこと自体、無駄ではないかと思いたくなる。

つぎつぎといろいろな幻想を用意して、その場をしのいで戦後の50年を過ごしてきたような気がするが(根拠のない、はなはだ無責任な言い方だが)、そろそろ幻想も底がついてきて、最後の切り札とでも呼ぶべきナショナリズムが顔をあげようとしているのではないか。そのナショナリズムもまた、仮想敵がなければ発生しようがないから、次になにが敵となってあらわれてくるのか、不気味な気がする。

震災にインターネットが役に立ったというのも、もしかしたら、幻想であったか、使える、あるいは使いたい者にとっての夢に過ぎなかったのではないだろうか。今度の石油汚染の情報もインターネット上を飛び交っている。震災の時も含めて、だれにとって必要な情報が流通しているのか、ふと立ち止まって考えてみたくなる。

ボランティアと義捐金というのも、いつかどこかで見た景色である。阪神大震災の時には、被災者の数が多すぎ、石油汚染では、被災者がだれか特定できず、義捐金が宙に浮いているという。

こういう緊急時には、一体、なにが本当に必要なのだろうか。同じ過ちを繰り返し、危機管理能力の欠如した政府や役人に向かって、直接、「バカ野郎」と罵声を伝える拡声器が必要ではないのかと思ったりもする。これもまたむなしい限りだ。

雲仙普賢岳や阪神大震災などの相次ぐ災害を受け、ボランティアに安い掛け金で補償をできるよう、「ボランティア活動保険」ができているそうだが、石油回収作業中に心不全で死亡した高校教諭に対して、一般的に急性心不全は給付の対象にならないとことだが、なんのための制度なのかと、あきれてしまう。悪天候の中の心不全、ほかにどんな原因があるのか。

97.1.31 宮崎学という人の「突破者」(とっぱもの)という本に、次のような記述がある。

 昭和二三年六月二八日に福井に大地震が勃発し、これを契機に
 会社(暴力団で土建屋)が一大発展することになる。/この地
 震は先般の阪神大震災に相当する強烈な直下型地震だった。県
 庁など約1000戸をのぞいて福井市の家屋のほとんだが倒壊、
 焼尽くし、四〇〇〇人近い死者が発生した。その福井へ復興の
 ための建材を大量に運び込んで、大儲けをしたのである。京都
 から福井に通じる鯖街道を、何台ものトラックに材木や鉄骨を
 満載して運び入れた。/親父自身が先頭のトラックに乗り込ん
 で走るのだが、随所で地震のために道が壊れている。それでも
 「こら!何をびびっとる。押し通れ!」と運転手の頭を小突き
 ながら走ったそうである。こんな無茶もあって、福井自身では
 ぼろ儲けし、事業を拡大していった。

著者は右翼、左翼、暴力団に取り囲まれた人生を送り、グリコ・森永事件で「キツネ目の男」と疑われた人物である。私がある雑誌に震災についての体験を書いた時、震災直後に建設株が上昇したということについての記述に、「大阪商人が、金儲けを考えるのは当たり前で、それについて腹を立てるような書き方はつまらない」みたいな批評(文芸誌であったせいもある)に出会って、腹も立ち、戸惑いもした。

この宮崎氏の記述について、私は憤慨しているわけでは全くなく、実際のところ、多くの企業人たちの腹の内はどうだったのだろうということを知りたいと思っただけだ。災害のまっただなかにある当事者以外の心理というものが、どういうものかふと考えたくなったのだ。

私の住む近所にも日本有数の暴力団の本部があり、そこでパンなどの救援物資をいち早く近所に配っていた。私は、「まだ飢えるには早すぎる。平常時に彼らがなにをしていたのかを考えて食うな」というようなことを、95年1月時点のこの報告にも書いた。しかし、行政はなにもしてくれなかった、助けてくれたのはヤクザや、みたいなことを言う人が今も現実にいる。
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