阪神高速復活、仮設で30代孤独死、神戸からの報告

96.9.8 子どもが岡本にある塾に通っている。震災のあと、交通期間が全くないときには週に何度か車で送り迎えをしていた。今では何カ月かに一度、別の用事で山手幹線を走るだけになっている。現在は石屋川を越えて山手幹線へ入るところが、東行き車線を工事していて、いつも渋滞している。石屋川沿いをまっすぐに下っていけば、川沿いに公園がある。鬱蒼としていた樹木が切り払われ、その向こうのビルのいくつかも消えて、すかすかした感じになっているが、二号線と出会うあたりには、まだテントがある。記録室通信にあったテント生活者の数を思い浮かべつつ前を通るのだが、昼間、人影を見ることはほとんどない。

 山手幹線を岡本方面に向かって走ると、本山第二(だったと思う)小学校があって、長く避難所になっていた。春頃、一部校舎の解体がはじまったのを見たのだが、先日は学校の回りに塀が張り巡らされ、塀の上の空間がすべて空になっていた。つまり、大勢の避難者をあずかっていた校舎がすべて取り払われたということになる。生徒たちはおそらく塀で隠れて見えない仮設の校舎かなにかで勉強しているのだろう。震災後、長く、その後の使用に耐えられない校舎の中で多くの被災者が暮らしていて、自分の家に戻ったもの、どこかの仮設に暮らしつづけているものなど、いろいろだ。

 長く住んでいた家を失ったり、被災したあと、雨露をしのいだ場所がなくなったり、それがよくない記憶であっても、記憶を呼び戻すきっかけとなる物や建物が次々と消えていくということが、人の心にどういう影響を及ぼすのであろうかと思う。

 不登校にはいろいろな原因があるが、学期に二十日以上の欠席をした生徒の、ここ数年の集計を見た。震災の年に数字が高いのは、交通期間の問題など、物理的な登校困難があったのだろうが、その翌年以降に、その数が微増している原因の一端には、震災の爪痕があるのかもしれないと考えてしまうのは短絡にすぎるだろうか。

 短絡ついでにもうひとつ。塾が出している過去三年の学校別偏差値。阪神間の私学で、五年生で震災にあい、震災後の混乱の中で六年生を過ごした生徒たちが受験したと思われる96年度入試。95年度偏差値に対して、
マイナス1ポイントの学校5校
マイナス2ポイントの学校3校
マイナス3ポイントの学校5校
マイナス5ポイントの学校1校
(プラスだったのは3校)

それに対して97年度の予測(対96年度比)
マイナス1ポイントの学校2校
プラス・マイナス0の学校5校
プラス1ポイントの学校3校
プラス2ポイントの学校5校
プラス3ポイントの学校1校
プラス5ポイントの学校1校
 中学入試で小学校の果たしている役割はゼロに近いが、塾そのものに通いにくかったことや、勉強の雰囲気そのものが普通でなかったことなど原因はいろいろあるに違いない。

 ちなみに私の勤務先はマイナス3ポイント、そして97年度はプラス2ポイントである。

96.9.17 東京に一泊して戻ってきた。友達と会って(彼も肝炎でしばらく入院していて、酒が飲めないので、新宿のデパートの食堂で飯を食い、喫茶店でしゃべり、勘定のとき、いわゆるホット(ブレンド)というやつが、600円であるのに驚いてしまった。神戸だとたとえば、竹中郁らの、かつてのモダニズムの詩人たち御用達の西村の宮水コーヒーや、今もあるのかどうか、茜屋などという、特別な店のコーヒーがそのくらいの値段だ。まずくてぬるいブレンドコーヒーが600円というのが理不尽だと言うと、友人はもっとまずくて、いっぱい千円のところもあると言われてしまった。

 行きの新幹線の中で読んだ東海林さだおの「あれも食いたいこれも食いたい」というコラムに名古屋の中心部、栄の地下名店街の喫茶店「せぶん」のことが書いてあった。テレビで名古屋ではコーヒーを頼めば、ピーナッツがついてくるというのは見て知っていたが、そこのモーニングはすごい。

 Aコース、トーストとゆで卵。Bコース、ミックストーストとゆで卵。ここまでは神戸にもある。しかし次のCコースは、ごはん、味噌汁、オムレツとマカロニサラダ、焼き海苔がついていて、600円だと書いてあった。あまりのすごさに、そのページだけを破いてポケットに入れておいたのだが、それを友達に見せると、ウーンとうなったきり黙ってしまった。

 新宿のコーヒーが高いのは、土地代を飲んでいるからだが、たとえば長田のような場所で、予定外の建て替えを強いられた(つまり、震災で全壊、全焼をした)人たちは、準備のない資金繰りのあげくにたてた店の商品にどんな値段をつければよいと言うのだろう。

 震災のあと、路線価は下がっているが、幸運にも家を新しくすることができたとしても、本来なら建て替えの必要のない場所に、いわば二重に家を建てた形になっているのだ。そのうちの家のひとつぶんは、地面にしみこんで、その人にとっての土地の値段になってしまっている。商品に値段の上乗せをするのは理論上簡単だが、長田で600円のコーヒーを文句も言わずに飲む人はいない。

96.9.22 JR住吉駅南側、白壁の倒壊していた住吉神社の壁が復旧されつつある。まだコンクリートの状態で、上に白い土がかぶせられるのかどうか、わからない。台風の影響なのか、オリックスが日本ハムと優勝を争っていいるのをテレビ(球場は立錐の余地もないほどの満員)で見ている人がたくさんいるせいか(まさかね)、国道二号線はやけにすいていた。

 途中、街路樹が倒れているところがあった。台風のせいだろうが、直撃したわけではなく、おそらく幹が虫に食われていたとか、空洞化しているというようなことがあって、少し強めの風でおれてしまったのだろう。そういえば地震の時は、多くの家が倒れたが、一本の木も(倒壊した建物によりかかられる以外に)被害にあわなかった。震災と台風とは、同じ天災でも全く別種のものだ。

 1時からはじまった試合も、用事をすませて4時半頃、家に戻ってテレビをつけたら、まだ決着がつかずにいた。結局は12回まで延長戦を戦って、引き分けに終わったが、マジックはこれで1になった。あとは時間の問題。

 オリックスの選手の肩には、がんばれ神戸のワッペンがついている。どこやらの銀行がオリックスが優勝した場合の経済効果を試算していたが、客の戻らぬ市場にしても、優勝謝恩セールというのができて、いくばくかの分配があるとすれば、やはりオリックスの優勝を待ちわび、喜ぶべきだという気がする。恥のみ多き阪神ファンとしても、オリックスを応援することにする。

 福良選手が打席に立ったとき、自主トレに行くため、三宮にいて震災が発生し、燃え盛る町を見ながら、歩いて自宅に戻ったと、アナウンサーが説明していたが、神戸市民でさえも、震災をすでに忘れているものが、大勢いるに違いない。私だって、この報告を書いていなければ、震災のことを思うことはほとんどなくなってしまっているだろう。

96.9.26 法隆寺や薬師寺などの再建に関わった宮大工西岡常一の話が教科書に出ていたらしく、娘がテレビでやっていた彼の話を見ていた。西塔と東塔のどちらであったか忘れてしまったが、元の塔と再建したものの高さが違うと指摘されたとき、千年後に同じ高さになると、西岡氏が答えたというくだりを聞いて、思わずうなってしまった。

 高校の時に数学を習った先生が兵庫区の旧家の出で、築六百年というとてつもない家に住んでいる。数学の先生だが本が好きで、そのときどきに読んでいる本の話をよくしてくれ、学生時代には本の重みで二階が抜けたと聞いたことがあった。それが築六百年の家なのか、下宿であるのかわからないのだが、今度の震災では、五重の塔と同じ構造の柱であったために、家がびくともしなかったと言っておられた。

 テレビを見ながら、恩師の家の話を思い出し、西岡氏が千年後には同じ高さになると、平然と言ってのけたくだりが、いっそう心に響いたのだ。

96.9.29 阪神高速が全面開通するらしい。震災からまだ二年経過していない。私が最初に「高速道路」というのを見たのは、東京オリンピックの前、多摩霊園に祖父の納骨のため、はじめての上京をし、鳩バスで東京見物をした時だ。鉄腕アトムの一場面にハイウエーというのがあり、足場を組んだ状態の代々木競技場などとともに、空中を走る道を「未来だ」と思ったものだ。あの頃は、国の威信をかけての工事であったとしても、相当な工事期間を要したに違いない。

 国会が解散され、選挙がやがて行われる。考えてみると、神戸市長というのは、たいてい、ひとつの政党をのぞく総与党態勢で、対立候補と激しく争う選挙戦というのはない。ことに二選目、三選目となると、投票率も二十パーセントあるかなしかではないのか。従って、無効票とかを差し引けば、十パーセント台の得票で選ばれた市長と言える。現在の技術力からすると、お金さえ集めることができれば(日本の選挙では、中央からいかに金を持ってくるのかが、有能か無能かの基準になっている)、ハードを整えるのはだれにでもできることなのかもしれない。ことに倒れたものを、元に戻すだけの工事であれば、なおさらだ。

 しかし、同じ工事でも、人が住む空間となると別だ。単に建物の問題ではすまされぬ、さまざまな要因が複雑にからまっていて、たかだか十パーセント台の支持率ではどうにもならず、こちらは遅々として進まない。

 いつも人の気配がないと感じる仮設住宅だが、先日、たまたま家庭ゴミ収集日の、収集時間に近い頃に通りかかると、建物の数にふさわしいゴミの分量と、ゴミ収集所の整理をする住人の姿を多く見た。

 荒ゴミの収集日に関しては、私の住む住宅街では、家財道具一式を処分したのではないかと思いたくなるほどの量のものが道をふさいで並べられるが、仮設のあたりでは、やはり随分と違っているのだろう。

#今日の午後、ひさしぶりに揺れた。震度1だ。95年1月17日以前には、これほどの回数、地震があったのだろうか。

へおすすみください。

HOME PAGEへ戻る