暑い、容赦なく暑くて、神戸からの報告


96.7.1 道路があちこちで掘り返されている。なにを目的とする工事なのか。南へ百メートル下がったところで一カ所、西南へ三百メートルほど行ったところにも一カ所、同じような工事が行われている。震災のあとしばらくして、そこら中で白いスプレー(あるいは黒いタール状のもの)を持った人が、道路のひび割れに印を入れて歩いていた。

 かすかにできたひび割れに入れた印で、工事がその補修だとすると、予算執行の優先順位が間違えているように思う。人がつまずくほどの段差があったり、車が転落するほどの亀裂ができているならともかく、日常生活にはなんの不便も感じていない程度の、かすかな傷だ。地中に埋設した水道やガス、電気の補修ならともかく、ただ地表だけの問題であるなら、仮設にいる人たちの高級住宅など、先にすることがあるはずだ。

 当時ケニヤにいた同僚の話によれば、地割れができて、そこに人が落ちて、五千人もの死者が出たと言うような伝わり方をしていたという。そういえば子どもの頃の大地震のイメージも、似たようなところがあった。「地球最後の日」的な映画のせいなのか、火山の噴火や大地震のときには、必ず巨大な地割れができて、大勢の人が呑み込まれていた。幼い頃の私は、長い棒を持って逃げて、それを支えにして地割れにおちないようにしなければと、真剣に考えていたこともあった。ガラス張りのビルから、いっせいに割れたガラスが降り注ぐ場面とか、映画やSFのたぐいで見せられてきたイメージと現実には、ある部分はかさなりあっていたが、かなりの部分で食い違いがあった。

96.7.4 南へ百メートルの工事が数日で終了し、すでにアスファルトで埋められている。そして西五十メートルのところで、新しい工事がはじまっている。深く掘り返された様子もなく、やはり表面のアスファルトの張り替えだけの工事であったのだろう。税金がたりないということを数字の上で示すためのインチキ工事と思えてならない。

96.7.6 ポートアイランドの仮設住宅で暮らしていた定年退職をした先輩教師、この夏から自宅に戻れそうです、とのこと。通常の自然のいとなみのせいか、地震後の苦労がいとなみを狂わせたのか、随分、ふけたような気がする。八年前、父が脳梗塞で倒れたとき、彼にも軽い脳梗塞の気配があって、当時、校長だった彼に、とても気を使ってもらった。足に出ている後遺障害が進んで、椅子のない、畳の生活、狭い風呂、トイレ、敷地内に敷き詰められた砂利石、ポートライナーの駅までの距離、日用品を手に入れる店との距離、コンテナトラックが走る道、道幅の割には、歩行者にとっては青の時間が短い信号、なにもかもが大変であったにちがいないが、クリスチャンとしての信仰に支えられているせいか、愚痴ひとつ言わずに過ごしている。失礼ながら、現職時代、人がよいだけで物足りなく感じたが、病気のあとの自分の弱さと比べ、今はその精神的な強さに頭が下がる。

96.7.7 石屋川沿いの公園にまだテントがある。人の姿は外からは見えないが、だれか暮らしているのだろう。車を走らせながら、家内に「まだ一年半しかたっていないのやな」と言うと「私は、もう、一年はも過ぎてしまったのかと思うわよ」と言われた。震災の時のことをなにからなにまで鮮明に覚えているために、一年半過ぎたとは思えないと言うのだ。

 昨日は隣家の主の葬儀。タクシーの運転手で、震災のあったとき、春日野道の高架下にいて、車が荒波に浮かぶ、モーターボートのように揺れたと言っていた。ガンで、震災後、何度も入退院を繰り返し、とうとう亡くなった。

96.7.12 奥尻の地震から、今日が三年目であるらしい。阪神大震災当日が、おそらく奥尻島の惨事から、一年半ほどのときで、阪神大震災から今日までの時間的経過と同じくらいのものであったのだろう。毎年あるバザーの売上金で、どこを寄付先に選ぶか生徒に決めさせたが、奥尻島も一度、対象に選ばれたように思う。しかし、そそ次の年はどうであったか。

96.7.15 運転免許の更新に行った。前回はちょうど病気になる直前だったから、あれから三年ということになる。次回の更新は制度が変わり、五年後だ。

 安全運転のしおりとい冊子の最初に、兵庫県の交通事情とお願いという記事がある。最初の項目は「今、復興に向けて取り組んでいます」という記事で、神戸、西宮、芦屋への車の乗り入れの自粛を求めている。つい先日までは、取り壊した建物の廃材を運ぶトラックが目立ったたが、最近は道路そのもののアスファルトの張り替えが多く、あちこちで渋滞を引き起こしている。

 次のページは「震災後、こんな交通事故が増えています」という記事。特に交通ルールの無視、マナーの悪さが目立っています。ドライバーの一人一人が自覚をもって、事故のない明るい町づくりをこころがけましょう、とあって、交差点事故、原付自転車事故、信号無視、右折車と対抗二輪車との事故が多発していることを指摘している。

 震災後しばらくして、東南アジアの通勤時刻を思わせる、自転車とバイクの多さであったが、多少はそのころと比べると減っているのだろうが、それでもまだまだ数は多いのかもしれない。

 震災後、しばらくは信号が壊れていたり、人々の間に譲り合う気持ち(半月ほどであったろうか)があったように思うが、経済生活がはじまってからは、遅れを取り戻さなければならないと言うあせりもくわわって、かなり危険な状態が頻発していたように思う。総数としては減ったのであろうが、今でも他府県ナンバーのトラックを見かけることが多く、地元の道に不慣れなことも、事故の一因になっているかもしれない。

 運転免許更新所の隣に自動車試験場があり、その南側に自動二輪のコースがあったが、そこに仮設の建物が占領しているのは、地震のせいなのか、単なる建て替えのためなのか。三十代になって、中型二輪の免許を取りに行き、初挑戦の時、二時間くらい待たされ、試験がはじまってから、十数秒走ったところで、一本橋から転落し、検定中止。飛び込みで受験するのをあきらめ、自動車学校の二輪のコースに行くことにした。

 駐車場のないポートアイランドのマンションに住んでいたときには、学校まで250CCのバイクで通ったが、灘区に引っ越してきてから、バイクをやめた。震災の時には、バイクを処分しなければよかったと何度も後悔した。自転車を使おうとしたが、倉庫の中が地震でむちゃくちゃになり、しばらく出すことができず、ようやく取り出した物の、坂だらけの神戸の町は自転車で走るのにはふさわしくなく、震災のせいで路面の状況も悪く、路肩の石やコンクリートがかけて鋭利な刃物のようにとがっていたりして、どこでやったのかわからぬが、すぐにパンクしてしまった。

96.7.20 台風の影響の大雨。神戸祭りが再開。昨年は中止で二年ぶりとのこと。給料の明細を見る。ふだんは見たことがないが、先月よりもやけに少ない気がして、ついまじまじと見入る。住民税のところが大きく違っている。震災のあとの特別な減税措置が終わりになったということなのだろうな、たぶん。

96.7.21 細かいところまでは話してくれなかったが、震災がきっかけで夫婦関係がうまくいかなくなったらしい。新聞などの記事では時々目にしていたが、実際に当事者から直接聞いたのははじめてのことだ。地震前後のことが、さらにその以前からあったできごとと錯綜しているために、しゃばっている当人もわからなくなてちるようだが、震災は様々なところに陰を落としているのは確か。

 別れがあるかと思うと、きずなが強まったということもあるそうな。震災当日、暗闇の中で手探りで服を探して外へ出た。夫がなかなか出てこない。ようやく出てきたら、下着の上にコートをはおっており、服がないから着られないと言っている。よく見ると、妻の方が夫の服を着ていたのだが、夫婦は、なにが起こっても生きていけると確信したそうで、似たような場面に遭遇しても、感じることはずいぶんと違うようだ。

96.7.23 10代の少女というのは、どうしてあんなにも風呂が長いのか。いつまでもなりやまぬ夜中のシャワーの音にオヤジは次第にいらだってくる。オヤジの入浴時間は、5分だ。この家の家系を支えているのはオヤジなのに、たった5分なのだ。なのになんだ、大方、半時間近くシャワーの音がするではないか。

 十代の少女というのは娘のことだ。朝、起きられないくせに、夜だらだらしているのにもいらだってくるが、水の流しっぱなしも気になってしかたがない。一年半前の震災の時を忘れたのか、と言いたい気持ちをぐっとこらえる。シャワーの音が眠たい頭の中で、ポリタンクの重さになってよみがえってくる。

 戦争中や戦後の混乱期の話を繰り返され、うんざりさせられた自分の子供時代を思い出してしまうのだが、震災は娘も体験したではないか、水のない苦労はいやというほど味わったではないか、ウンコをしても一度で流すのはもったいなくて、ためておいて、一日一度、まとめて流したじゃないかと、オヤジは一人なげきつつ、そのナゲキを口にしないまま、気がつけば眠りに落ちている。

 夏の水不足の原因は、女子中高生のシャワー、電力不足は夜の間ずっと無意味に明かりをともし、缶を冷やし続ける自動販売機のせいだと、地球規模の愚痴にふくらんでくる。統計上、高校野球の頃が電力不足のピークなら、涼しい夜のナイターにしろ、テレビ中継をやめろよな、ほんとうに。

 o-157の死者が出た。震災が夏に起こっていたら、どんなことになっていただろうと、得体の知れない病原菌の暴走を不気味に思う。

96.7.25 阪神大震災から一年半、一日も早く復興をと神戸の町は活気がみなぎっています。仮設住宅で生活していました私も、おかげさまでもとの地に新しい家が完成し、*月*日に引っ越しすることになりました。今日にいたりますまで、皆様から賜りましたお励ましやお力添えまことにありがとうございました。暑く御礼申し上げます。

 残りの人生、生かしていただいた感謝の気持ち
を忘れることなく、みちたりた日々を送っていき
たいと思っています。
 梅雨もあけ、暑さ厳しい日が続くこととなりま
すが、お身体ご自愛の程お祈り申し上げます。
 一九九六年七月吉日

 仮設にいた人からの転居の知らせ。

 日除けの鉄板を屋根にのせた仮設は、昼間、外から帰ってくると、温度計の目盛りが四十度をさしているという。梅雨時は雨垂れの音で眠れず、夏は暑さで、台風の季節には建物ごと飛んでしまわぬかとおびえ、冬は寒さで、薄っぺらな壁一枚隔てて、遠慮しながら、茶碗のふれあう音はするが、声はほとんど聞こえてこない、みんな静かに、体を縮めて暮らしていると、はがきの主を仮設に訪ねたときに聞いたことがある。それにしてもo-157の流行を思えば、震災が夏でなくて本当によかった。もしそうであったと想像するだけで恐ろしい。
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