こだわりすぎと言っても、まだ一年と半年、神戸からの報告


96.6.6 ホームルームで生徒の交通事情の調査。思えば震災直後、安否確認の作業の後、ベニヤ三枚をくっつけ、なパネルを作って、その上にコピーした道路地図を張り合わせ、巨大な地図を作った。そこに色分けしたドットを張り付け、元の住所に住んでいる生徒と、避難している生徒が、ひとめでわかるように工夫をした。

 交通網の復旧状況と居住区域を重ね合わせることで、学校再開までの計画を綿密にたてることができた。登校日にどのくらいの生徒が登校可能かというシミュレーションも手作業にしては、ほとんど狂いなく行うことができて、緊急時の見事な対処の仕方だと、自画自賛したものだ。

 今になって考えてみると、広い範囲の通学区域を持つ私学として、そういう資料が全くなかったことの方が問題ではなかったのだろうか。数人の仲間たちと、震災直後、あれこれと工夫しながら、問題解決の方法をさぐり、さまざまな考えを実行に移していったが、もしかしたら平常時にやっておくべきであったことを見直すのを忘れていたかもしれないと、一年以上過ぎてから思うようになってきた。

 ただ集計を出して、現状を認識するだけではなく、アンケートの有効利用の方法を考える必要がある。

96.6.18 今日、某局からホームページに載せている「神戸からの報告」について取材を受けて、震災後、緊急事態を脱したと感じたのはいつかと聞かれた。おぼろげになりつつある記憶をたよりに考えてみると、生死という、ぎりぎりの意味では、明るくなってからであるからおよそ一時間後くらいだ。

 もしかしたら、再度、大きな揺れ(17日5時46分が最大の揺れだという確信は長い間なかった。まだ大きなのがくるのではないかと思っていた。)があったり、火災が発生したり、命を落とさなくても、大きなけがをするかもしれないという状況から抜けたのは、数日後だ。

 震災後、かなり早い時期に大雨が降ったりして、避難勧告が出たりして、火災を含め、二次災害で逃げなければならない事態を想定したのは、およそ二週間くらいであろうか(もちろん半年すぎた梅雨時にもその恐れはあったが、それは別種のものだ)。
 さらに、日常生活という面で緊急時を脱したと感じたのは、やはり風呂に入れるようになった三ヶ月後くらいであろうか。

 こうしてみると緊急時といっても、様々な段階があった。生活面で最初に危機を脱したと思った瞬間は、灘神戸生協が店を開き、停電の中メモ用紙をくばり、客に値段を記入させ、確認もせずに電卓で計算し、商品を配布しはじめた時であったかもしれない。商店で商品が手にはいるという日常性を見ることで、大きな安心を得たのだ。

 青谷のコープは建て替えのために撤去され、摩耶コープはミニコープに変わって営業を始めている。ダイエーもコープと並んで、現地の私たちに安心を与えてくれた。震災が落ちついてから、あちこちで震災関連の書物が出るようになって、実はダイエーにこんなけしからんことがあったとか、様々なことが書かれて、私たちが知らなかった事実が明らかになりつつあるのだが、経済原則から見た功罪と、被災地で被災地の住民が感じたことには大きなずれがあるのが、次第にわかってきた。

 大げさな言い方をすれば、歴史によってさばかれたことと、情報が途絶した状況の市民が感じたことの間には、かなりのずれがあるということだ。

96.6.22 震災で全壊した家を建て直し、ようやく新しい生活をはじめられたS氏の話。震災前にあった雨水を処理する排水設備がだめになったので、管理している市に復旧を申し出たところ、「そのあたりは壊れていないことになっている」との返事。「壊れていないから、予算を組んでいない、従って公費による工事は無理」という論法なのだが、ずさんな話だ。地中にある活断層を調べているわけではなく、地上に建っていて、壊れてしまった家についての話である。

 あたり一面、更地になっていたとすると、ほとんどの所帯に全壊の罹災証明が出ていて、税金の控除の対象になっているのだから、なにをかいわんや、だ。税金を管轄する部署と、税金を使う部署では管轄が違うと言うことで、プライバシー保護という名目の情報の囲いこみなのだろうか。ケースによってはそういうことも結構だが、震災の場合は、むしろ被災状況をしっかりと把握して、きちんとした対策をとるべきなのだろう。

 こういう話を聞くと、国や自治体がする調査というのはどういうもので、国民や市民の実状をどれだけ表現しえているのか、はなはだ怪しいと言わずにはいられない。震災直後、不思議な開放感があった。いわばハードディスクがクラッシュして、さあこれから新しいソフトをインストールしなおすぞ、というときの気分に似ているような気がしたのだが、ついつい手っ取り早い方法と言うことで、古いバグのあるソフトをインストールしてしまったのかもしれない。震災であんなにもたくさんのものが壊れて、なにが変わったのだろう。

 私の家の斜め向かい、犬の散歩仲間の家もようやく工事がはじまった。

96.6.27 教科の新人歓迎会。帰り、住吉近辺を駅に向かって歩く。仮設店舗をのぞくと、奥行きは狭いのに、水回りだけはかなりしっかりした作りの飲食店が並ぶ。その設備を見ていると、簡単に新しい店を作るわけにはいかないような立派なものに見える、もちろん立て替えるときには、水や火のまわりの設備はそのまま引き続きて使えるように考えているのだろうが、10年くらいはこのままの営業が続くのではないかとふと思う。

 会場は国道二号線沿い、JRに近い。阪急を利用する者、阪神を利用する者がいて、あちこちに分かれることになったが、震災の時はこのあたりを歩いた、学校まで歩いたという話になった。ふつうなら通勤途中にこんな場所を通る者などなく、なんだかなつかしいね、という会話が、当時(といってもわずか一年半前のことなのだ)の状況をよみがえらせた。

 私自身、この白壁が壊れたままの住吉神社近辺がなつかしいのは、病気の後、ここからほど近いところにある関西気功協会の教室に通っていたのだ。授業に完全に復帰する前、古い知り合いである甲状腺の専門医のK先生のところへ、精神的なケアを受けに通っていて、そこで中国医学の女医さんを知り、彼女が指導している教室へしばらく通ったのだ。

 日本の医師法の関係で直接診察はできないので、K先生が診察をしている横にいて、漢方の処方をしてくれた。中医学というのは、舌の色とか爪の様子を見て診断するのだが、手術をした西洋医学の医者によりも、彼女や、K先生に救われた部分が大きかった。

 その先生が中国に帰るまで、私は毎週気功教室へ通い、住吉神社近辺を歩き、小さな市場の饅頭屋に寄って、病気の前は酒ばかりを飲んで、あまり口にしなかった大福を買って帰った。その店も今はおそらく壊れてない。

96.6.29 朝、犬の散歩をしていると、変電所の少し下にある空間に、赤い丸印がふたつ見えた。昨日までなにもなかったのか気がつかなかっただけなのか、棟上げの印の扇が三枚、丸い形に組み合わされている、そのうちの二枚の赤い丸印が私の立っている位置から見えた。

 建築の始まった家の隣は、文化住宅で、ガラスは割れ、すむ人がないまま、無惨な姿をさらしている。いや、無惨というのは人がいないからそう思うだけで、少なくとも見かけは、地震の前から相当にくたびれ果てているのだ。

 変電所のある角を右へ曲がり、少しいくと月極駐車場がある。子どもの頃、ゲッキョクと読んで、ゲッキョクという大きな会社があちこちに駐車場を持っているのだとばかり思っていた。そこには震災のあと、数日してコンテナトラックがとまり、コンテナを住居にした夫婦と子ども二人の4人家族が住んでいたが、いつのまにかいなくなった。

 そこを左に曲がって坂をくだり、すぐに右へ曲がり、次の角を上に上がると、地震当日に人の姿がなくなり、数カ月後に更地になったところに、土の表面が見えないくらいに、雑草が茂っている。防災を兼ねた公園にすると、市の職員が説明に来てから、草が鬱蒼としてくるだけで、なにも変わらない。

 公園予定地のすぐ北側に住んでいた老夫婦は、震災のあとしばらくして有料の老人ホームに移っていき、2ブロックほど離れたところにある家が壊れた家族が、新しい家ができるまで仮住まいしている。

 家に戻る。道にすでに黒くなった血のあとが、私の家の車の下からはじめり、二軒向こうの家のしげみまで続いている。先日、子どもを塾に送るために車を出したとき、上の子供が血の海と言えばおおげさかもしれないが、花瓶をこぼしたほどの範囲で血のかたまりがあるのを発見したのだ。

 一日止めてあった車の下にあったわけであるから、刃傷沙汰があたっとは考えられず、それでも気味が悪くて、二軒向こうの奥さんと、家内が話をしたらしい。警察に届けたかと言われたが、すぐに水で洗い流し、清めの塩をまいたと説明すると、あそこもここも、空き家だから、おかしいと思ったら警察に連絡した方がいいわよと言われたとのことだ。全部が震災でいなくなったわけではもちろんないが、通りを一本へだてたところでは、長屋を含めると四世帯くらいがなくなっている。

 新聞を取り、家に入ろうとすると、猫の声が聞こえた。子猫の声だ。そういえば車の下によく猫が隠れていて、散歩の帰り、犬が怒ってほえていた。子猫ということは、もしかしたら車の下で子どもを生み、生まれたばかりの子猫をくわえて、二軒向こうの家のしげみまで歩いて行ったのかもしれないと、昨年、交配させ、子どもを生ませた犬の出産を思い出した。

 一晩、血のことでいやな想像ばかりをしていたのが、一挙に晴れた。猫は嫌いだが、新しい命というのは気持ちのよいものだ。 へおすすみください。

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