「このお客様ですか? この方でしたら今日の昼にチェックアウトなさいました」
 宿屋で若い女性オーナーに老人の写真を見せると、最悪の答えが返ってきた。もう老人はこの村を出ていたのだ。
 「……そうですか」
 宿屋のオーナーと直接話していたアイリスが、気落ちした様子でため息をつく。 ギルバートとナデシコはロビーのイスに座り一般客を装いながら周りに神経を尖らせているが、それも無駄になってしまった。
 だがいつまでも落ち込んではいられない、情報を仕入れなければならないのだ。次の機会を得るためにそうするのはもちろん、もしかしたら追いつく方法があるかもしれないのだから。
 「いつから泊まっていたんですか?」
 アイリスが手帳を開き、ポーチからペンを取り出す。
 「三日前からです」
 「やっぱり。何か変わった様子は?」
 「ええ……変なお客様でした。昨日もチェックアウトして一度出て行ったんですよ? 森に入っていったのに半日後には戻ってきてまた泊まりたいだなんて……。ね? 変でしょう?」
 「そうですね……。どうしてそんなことを……」
 チェックアウトとチェックインを繰り返すことによる違いはなんだろうか。
 まず手間がかかる。 部屋が変わる可能性もある。 何かを部屋に隠し別部屋に泊まる事によって、いざ見つかったとき短時間でも疑いの目から逃れることができる、見つけた者も疑われるためだが、不確定な要素だ。 部屋の空いていない可能性はもちろん、同じ部屋が空いていた場合そこに入るのだから。それに、見つけるのが宿泊客とは限らない。 旅館関係者ならば当然その前に泊まっていた老人を怪しむだろう。老人がギルバート並みの頭なのかは知らないが、それぐらいはギルバートでも思い浮かぶ。
 他には……無理やり加えるなら宿泊帳簿に二度名前を書くことだろうか……。未だに名前の出ない事を嘆き自己主張の為に……そんなわけは無い。
 「どこに向かったとか、そういうことは分かりませんか?」
 「また森みたいです」
 「え!?」
 確かにアイリスはタイムリミットを3日としたが、じつはそれすら多めに見積もった結果なのだ。
 まずマジックアイテムは広域型で強力。この辺りの森ならば発動させながら一日回れば全ての魔獣を掌握できる。 老人という事を考慮に入れて体力や移動速度などを考えても、2倍の二日あれば十分すぎるだろう。
 以前の任務で3日目も森にいたことはビーストガーズに喧嘩を売るためと考える事もできるが、今回もそうなるとは限らないのだ。理由が無い限りわざわざ待ったりはしないだろう。 それはギルバート達以外老人に遭遇していないことからも推測できる。 世界中の森にパトロールを派遣し続けているのだから、戦う機会をわざわざ待つならパトロールに向かった誰かが出会うはずなのだ。
 だからそんな筈は無いと思い、アイリスが「本当ですか?」と聞き返すと「ええ、友達が見ていたので間違いないと思います」と、オーナーが自信たっぷりに答えた。 家屋が村を囲むように建つ村ならば、村から出る者を自然に誰かが見ているのだろう。活気があるので噂もあっという間に広まる。本当に森へ向かったのだ。
 ならば今日森に入る必要は何なのだろう。
 「もしかしてもう一度戻って来られるかも? こちらでお待ちしていれば良いのでは?」
 オーナーのその提案もアイリスの考える一つの案だ。だが出会う可能性を考えると、森に入る方が早いのではないだろうか。
 多くの魔獣を操る老人は間違いなくギルバートたちの存在に気づくだろう、本当に以前の3日目が喧嘩を売っていたのだとしたら、また向こうから接触してくる。戦いと惨殺を好む狂人。それがあの老人なのだ。
 戻ってくるなら約半日ごとと仮定できる。それ以上は夜間になり部屋が埋まる可能性が増えるからだ。そしてそれはあと1時間程度。
 両方を選ぶ時間は無かった。アイリスが手帳を閉じる。
 「ご協力ありがとうございました。おかげでとても参考になりました」
 「そうですか。それは良かったです」
 「あの老人は極めて危険な人物ですから帰ってきても極力近づかないようお願いします」
 「私達は大丈夫です。だって」
 自然な動きで、オーナーがアイリスの向こう側を見つめる。ナデシコがソファーにもたれて、今にも老人が現れるのではないかと階段を見つめていた。
 「神は私たちを守るために使いを遣して下さいました」
 何と言うべきかアイリスは悩んだが、天使ではないにしろナデシコもここの人々を守りに来たのだ。存在は違っても村人の求めるとおり害を成す者を追放しに来たのだから、それで良いのではないのか?
 それで村人達は安心と安らぎを得るのだから、たとえ手柄がビーストガーズではなく、神の物であってもいいとアイリスは思った。
 ギルバートやナデシコも同様だろう。
 だから「そうですね」と心からの肯定の言葉を伝え、オーナーは驚いたような顔をした後にっこりと笑った。

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