北の国支部への大きな道。そこからほんの少し外れた森の中にそれは在った。
焼け焦げた馬車。折れ曲がった鉄格子。
「くっ!」
白い真新しい骨。無数の血痕。
「うぁぁぁ……!」
剣と鎧を持ったビーストガーズの団員が、フードをかぶった男に半狂乱で斬りかかる。
「熱く燃える火炎よ、燃え盛りて敵を討て “ファイアボール”」
飛来した炎が鎧を真っ赤に熱し、その団員は仲間と同じ運命を辿った。
老人は戦士の後ろでムチを構えてそれを見ていたが、その顔には笑いなど微塵も無い。ただ恐怖で引き攣るのみだ。
壷の無い今、襲われればひとたまりもない。
逃げ延びるために後ろへ走り出す。
「どこに行く気だ? あぁ!?」
ビクッとして立ち止まった老人に、フードをかぶった男がゆっくりと近づいていく。慌てて老人は向かい合い、唯一の武器であるムチを構えた。
「チッ! 気にいらねえ……。やれ!」
男の声と共に、木の影に隠れていた赤いドラゴンが火を吐く。老人の後ろからだ。避けることすらできなかった老人をかすめ、火はムチだけを燃やし尽くした。
「くっ……」
ムチの燃えカスを捨て、鋭い目で男を睨みつけながら、老人がゆっくりと後ずさる。
「安心しな。俺様はてめえみてえなドSじゃねえ。武器を捨てさせただけだ」
予想外の言葉に、老人は安堵の顔を浮かべた。さっきまで無意識下で抑えていた冷や汗が、一気に噴き出す。
「わ、わしを始末しに来たのだと……。まったく……ひやひやさせるでないわい……イドロット」
「ふんっ! てめえが勝手に勘違いしたんだろうが」
男がフードを取った。
くすんだ赤髪、燃えるような瞳。
ドラゴン使いの村でアイリスをいじめていた頃の豚のような顔と体は、少しは見れるようになっている。少なくとも人には見えた。
「壷が砕けた。どういうことじゃ?
あれは……闇の王の……」
「ああ、壊れるはずはねえよ。本物ならな」
いつの間にかイドロットの手の中には、あの壷があった。ポンポンと、まるで小さな球を弄ぶかのように小さく上に放っている。
「てめえに渡したのは偽物だ。あたりめぇだろ? 誰が『わしは若造より上じゃ!』なんて考えてやがるクソ野郎に本物を渡すってんだ?」
「じゃが……以前あやつ等とやりあった時には、壷は割れることなど……」
壷を放る手が止まる。また放り始める。
「それだけやつの力は強大ってこったな。くそっ!」
唐突に、イドロットが壷を木に向かって投げつけた。老人が「あっ」と声を上げるが、木にめり込んだにもかかわらず壷にはヒビ一つ入っていなかった。
「てめえに任せた任務、覚えてんだろうな?」
「わしはまだボケとらん。奴らをおびき寄せ、倒す。そのためにわしは二度もチェックインなどという面倒な行為をして奴らに気づかせ、半日かけて魔獣の舞台を整え……」
「そうだ。それぐらいさせてもてめえは奴らにぎりぎり勝てねえ、そんな事は前から分かりきってんだ」
「なんじゃと!?」
「てめえに任せたのは、あの偽物を廃棄し、やつらに壷は砕けたと錯覚させるためだった! それがどうだ!?」
イドロットが仁王立ちで老人を睨みつける。
「面倒なことに四属の巫女の力を目覚めさせちまいやがって!
これだけ大きな変化だ……魔獣の変死に俺たちが関わっていると奴も疑いだす。そうなりゃ俺様の計画はおじゃんだ」
「……全てを話しておれば……上手くやったものを……」
老人が小さく独り言を呟いた。
「そうは思えねぇけどな……。まあいい。
てめえにはまだ価値がある。殺しゃしねえ。ただ、一切の自由行動を禁じさせてもらう! あのコロシアムも返してもらうからな!」
「な……くっ! 好きに言わせておけば!
あのコロシアムも壷も! わしが協力する対価じゃろうが!」
「歯向かうのか? 殺すぜ? なんなら今だけオリジナルの壷を貸してやってもいい。勝負するか?」
「舐めおって!」
老人が壷を引ったくり、後ろに下がる。魔獣は近くにいない。
だがすぐ近くの小屋の中には、キメラの材料にしようとしていた動物が大量に居る。全て強力な動物。ドラゴンが相手とはいえ、所詮は並みのドラゴン。一体だけならなんとかなる。
老人がターゲットを絞り、壷を発動する。レプリカとは比べ物にならない力が壷から溢れるのを感じ、老人はイドロットの油断を、心のうちで笑っていた。
トラに戸を破らせ、全ての動物が獰猛な足音とともに迫る。雄叫びや木々の折れる音が鳴り続ける。
「油断したようじゃな? わしには知恵というものもある。
例えこうなろうとも勝てるだけの予備戦力は、いつでも近くに……」
「ファイ! フレア! エア! シルフィード! ライト!」
イドロットのローブの中で何かが大量に光り始め、その後ろではさまざまな超常現象が繰り広げられた。
地から火が吹き出し、空からは雷が落ちる。
小さな竜巻は地面の草を引きちぎり、上昇気流と共に空高く舞い上げる。
「アクア! レイン! フリーザー! ビッグロック!」
火と噴出した水とがぶつかり、大量の水蒸気が発生する。
地面が砕け、石の塊がせり上がる。
雨まで降り始めた。
老人に選択肢は無かった。確実な死と確実な生。
イドロットの後ろにいたのは、魔獣の王。大量のドラゴンだった。
「選ばせてやる。戦るか? 従うか?」
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