老人が笑いながら何度もムチを振り下ろす。そのたびにギルバートが呻きをもらす。アイリスが庇おうと前に出るたび老人はそれを狙う、それをギルバートが庇う。
「……いい加減にしろっ!」
その繰り返しに我慢ならず、ギルバートが剣を引き抜いた。老人がムチを振るうのを止め、凍りつくような笑みを浮かべた。
「良いのか? わしは良いのじゃよ?」
その途端にサンダーバードが空で一回転し、アイリスの悲鳴としてギルバートに届く。
「くっ!」
ただ鞘に仕舞うだけでは、またいづれ抜いてしまうと思い、ギルバートは剣を地面に置いた。
ムチが額に当たる。腕に当たる。足に当たる。
それでも立っていたギルバートも、次の一撃で倒れこんだ。
「うぅぅ……」
アイリスが、そっと聞こえないように呪文を唱え始める。
「堅き守りの象徴よ、その力で彼を守りた……」
老人が空を指差し、アイリスに向けて背筋の寒くなるような笑みを見せた。完全に気づかれている……。
「そんな……」
絶望的な顔で老人を睨みつけるアイリスの目には、涙がたまり始めていた。
「ナデシコ! 何やってるのよ! 起きなさいよ!
じゃないと……ギルバートが………」
答えなど、返ってくる筈が無い。
「う、あ………ぐ………」
倒れこんだギルバートに、何度となくムチが振り下ろされる。
奪おうと思えば奪える。倒そうと思えば倒せる。ギルバートはただナデシコを生かすために耐えていた。それでも痛みには呻く。ムチは決して致命傷を与える事が無い、それゆえに痛みはいつまでも積み重なってゆく。
それにギルバートの着ている服も、魔法の掛けられた布で作った特別な物だ。ムチ程度ではほとんど破けない。それゆえに老人は満足しない。だからいつまでも叩き続けた。
「もう止めて!」
アイリスが老人とギルバートの間に立つ。
「そうじゃな……そろそろ腕が痛くなってきおったわい。……止めをさしておこうかのう………」
老人がムチの取っ手を引くと、鈍く光る小さな刃物が出てきた。
「止めて……お願い……」
老人が殊更満足げに微笑んだ。温かさなど微塵も無い。
「二人を殺すぐらいだったら、先に私を殺して!」
「おい! なんて事言うんだ!」
ギルバートがふら付きながらも立ち上がり、アイリスの肩を掴んだ。だが本気で引っ張ったというのに、全く動かない。ギルバートの体がそれだけ弱っていたのか、アイリスの決意の表れか……。
「そこで休んでて……。
私がここに残ってあなたを逃します。だから、お願い!二人にもフィソラにも手を出さないで!」
「……なんじゃと?」
老人の声が震えている。
「この状態で交渉などと、わしを舐めておるのか!?
このままならば、わしは貴様等全員を殺す事ができる。そんな事にわしが気づかないとでも思ったか! まだわしを甘く見ておるようじゃな!
わしは貴様等に完勝した! 生かすも殺すもわし次第! そしてわしは、殺せる物は全て殺す!」
老人が高らかに笑い、その声は今まで以上に響き渡った。
「それでも……、二人を見逃してください……」
アイリスが膝を地面に突き、両手を突く。
「お願いします……」
大粒の涙を流し、頭を地面にこすり付けた。この老人に命乞いなど、どれだけの屈辱だろう。それでもアイリスにとって仲間を救う事はそれ以上だった。
「嫌じゃ。どけ!」
「きゃあっ!」
老人がアイリスを蹴り飛ばした。二転三転しながら何度も地面に顔を打ちつけ、口の中には血の味が広がる。
「アイリス! くそっ!」
ギルバートが老人に殴りかかる。だが、その手を止めた。殴ればナデシコは落とされる。もちろん老人は簡単にナデシコを手放す事はできない。人質を失えば捕まる。だが、それでも老人は殺すという行為を優先する気がした。
「賢くなったではないか。ならば分かっているのじゃろう?
殺す!それを断れば、すぐにあのクウォーターの少女を殺す!」
アイリスが急いで起き上がったとき、すでに老人はナイフを振りかぶっていた。
魔法を唱える暇など無い。とっさにアイリスは、ギルバートの前に立つ。老人のナイフは止まらない。
「止めてーー!」
アイリスが叫んだ。
「どけアイリス!」
ギルバートがアイリスの肩を掴んだ。
「ならば貴様から殺してくれる!」
躊躇いなどなく、むしろ楽しそうな表情すら浮かべて老人はナイフを突き出していた。
ギルバートの行動は到底間に合わない。ナイフは間違いなくアイリスの首を狙っていた。
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