老人の笑いは止まらない。アイリスに情けをかけられ、ギルバートに剣を突きつけられ、老人はそんな今を愉快にすら感じていた。
 「何がおかしい」
 そう言いながらギルバートは、老人よりも周りに注意を払い始める。以前は老人に注意しすぎて虚を突かれ死に掛けた。
 魔獣の催眠を解いて回るアイリス。たくさんある路地、魔獣の気配はしない。壊れかけた店舗、崩れるほどではない。何も危険は無いように感じた。唯一心配な要素が有るとすれば、それは自身の頭だった。
 「そうじゃな……どこまでも愚かで、甘い事かのう。  死に掛けておいて同じミスをするか……」
 「……これでも俺は必死に堪えてるんだぜ。ナデシコとフィソラを石化させたお前を無傷で捕らえるのは、あくまでアイリスの意思だって分かってんのか?」
 老人がにやりと笑う。
 「だからなんじゃ?」
 「それ以上言ったら首を落とす」
 半ば本気だ。以前死にかけた時、同じような状態だった。その時は、アイリスはもちろんフィソラもナデシコもいたので何とかなったが、今回は違う。ふらふらのアイリス1人残して倒れるわけにはいかない。
 「止めておいた方が良い。わしが死ねば、もう1人死ぬ事になる」
 「……どういうことだ」
 静寂の中、アイリスがエリクシールを唱える声が何度も聞こえる。おそらく使った魔力の量は前回アイリスが倒れた時に匹敵するだろう。だが「大丈夫なのか?」と聞くと、「うん! 前よりは!」と答えが帰ってきた。無理矢理でもなく自然な声だ。
 質問ぐらいは大丈夫そうに感じられた。
 「誰かやばい事になってるみたいだ! 何か思い当たる事は無いか?」
 昨晩いなかったギルバートよりアイリスの方が現状には詳しいはずだった。少なくとも居なくなっている村人についてギルバートは全く知らない。
 村の人たちはナデシコとフィソラが避難させた。石像も死体も見当たらないならどこかに居るはずだった。
 誰かが死ぬなら自分達に見える位置で仕掛けるはず。そうしないと事実かが定かではない。だから脅しにもならない。
 つまり見える範囲で何かを仕掛けられている。それとも全てが嘘なのだろうか……老人は以前奥の手を用意していた。今回は時間もたっぷり有った。 何もしていないなんてありえるのだろうか……いや無い。ならば何を……。
 少しずつアイリスの考えがまとまってゆく。
 「この近く、村人じゃない……罠として使える。つまり動けない者……。フィソラは大きいから!
 ナデシコ!? ギルバート! ナデシコはどこなの!?」
 「そこの路地だ! いや……もう一つ先だ!」
 ギルバートが空いた左手で指差す路地にアイリスが走る。隣の路地も、ギルバートの記憶力も考えて更に隣も確認する。
 「居ないわよ!?」
 「そんなバカな!」
 ギルバートは間違いなく狭い路地の手前にそっと移動させたのだ。わざわざ誰かが動かさなければ……。
 「……どこにやった……」
 小さな声だが、ギルバートのその声は驚くほど重く響いた。
 「礼儀がなっておらんようじゃな?」
 「くそ……」とつぶやいて、ギルバートが剣を収める。
 「教えろ! ナデシコをどうした!?」
 「年寄りには敬意を持って……」
 「話して!」
 チッという舌打ちをして老人が空を見上げた。ギルバートとアイリスが上を見上げる。黒い点。高いところを飛ぶ何か、時々光っているようにも見える。
 「想像はつくじゃろ? あそこから落ちると砕ける。砕けると、死ぬ」
 サンダーバードと呼ばれる鳥がナデシコの包まれた網を掴み、大空を舞う。
 「網は丈夫。サンダーバード自身も鯨を取るといわれるほど力を持つ鳥じゃ。事故は無いじゃろうが……わしの心一つ。そしてわしが死ねば、奴は落下するじゃろうな」
 「人質か! 汚い手を使いやがって……」
 「ふぉっふぉっふぉ! 汚い? そなた等の詰めが甘いだけじゃろ?」
 「いい加減にしろよ!」
 ギルバートが老人の胸倉を掴んだ。
 「ギルバート! 駄目!」
 サンダーバードが揺れる。ギルバートがそれを見て、手を震わせながら胸倉を放す。
 「先ほどの戦いは、わしにとってかなりの屈辱じゃった。まさかそなた等のような若輩者に負けるとは思いもよらんかった。
 じゃから、お礼をせねばならんな」
 老人が着物の懐から、ムチとマジックアイテムの壷を取り出す。
 壷が弱く光ったかと思うと、アイリスが未だ催眠を解いていなかった十体ほどの魔獣が二人を取り囲む。それをなんとかしようと動くだけでも、老人は空を見上げた。
 「手は出させん。わしの手で殺してくれる!」
 アイリスを庇うように、ギルバートが老人の前に立った。

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