「あらゆる命の源よ、その力を持って傷を癒したまへ “キュア・バブル”」
 キュアバブルとは発生させた泡の中に最も過ごしやすい環境を用意し、自己治癒能力を極限まで高める魔法だ。
 ギルバートを泡が包み込み、中の者を守るために素早く固まる。
 「これで大丈夫。そのうち目を覚ますわ」
 それを唱えた少女の名はアイリス。ギルバートのパートナーだ。
 栗色のショートカットはさらさらで絹のように艶やかな光沢を持つ。
 紅葉を思わせる鮮やかな茶色の瞳はパッチリとして優しさという美徳がはっきりと見て取れたが、それだけではない。芯の強さや信念の強さ、そういった物を感じさせるどこか神秘的で引き込まれるような瞳だ。
 美しく透き通るような肌はガラス細工を彷彿とさせ、小柄な体もあって保護欲をかき立てる。ナデシコが猫のように美しいなら、アイリスはまるでリスのような、小動物のかわいさを持っていた。
 そして胸元はそんな幻想的な中で最も、現実的だ。
 半袖のTシャツと膝までのスカート。腰にはポーチを着けている。
 右手の中指には、パートナードラゴンの召喚と魔法の発動媒体となる指輪。平たく言えば魔法の杖と似たようなものである。
 気を失ったギルバートに魔法をかけたのは彼女だが、なんだかとても手馴れていた。
 「ホ、ホンマに大丈夫なんか? ウチの本気のんが胸元に直撃してんけど……」
 平然としたアイリスとは裏腹に、ナデシコは不安げだ。アイリスに尋ね、答えを聞く前におろおろとギルバートを覗き込む。
 「大丈夫! 骨折もしてないみたいだから」
 「え?」
 「ギルバートってよく怪我するからこんなのしょっちゅうなの。この間だって大丈夫だったでしょ?」
 ナデシコと組んだ数週間前の任務でギルバートは、魔獣の角に腹を貫かれた。
 それでも止血と魔法によって、その場で命に別状が無い程度には回復しているのだ。今回は骨が折れていなければ、大きな出血も無いのだから、魔法が必要かどうかすら怪しい。
 「そういえば、当たった瞬間何か変な感じとかなかった?」
 「変? ……そういや砕いたとかより何か押したみたいな」
 「やっぱり。とっさに後ろに跳んで衝撃を緩和したのね」
 ナデシコは半信半疑でそれを聞いていた。
 跳んで衝撃を緩和。体が頑丈だから怪我をしない。そんなこと果たしてありえるのかと疑ってしまうのも無理は無い。
 結論から言えばありえる。
 ギルバートは、格闘センスと、経験からくる勘の二つで戦っている。
 とっさの行動はギルバートの最も得意とする所であり、加えてストレートパンチは読みやすい。過去の経験から自然に体が動いていたのだ。
 だがナデシコは魔獣と人間のクウォーター。それも世界中で指折りの速さを持つ大鷲の魔獣、フレズベルクのクウォーターだ。だからこそ人間には不可能な速度で拳を繰り出す事もできる。
 極限まで加速したそれを後ろに跳んで緩和した、威力が落ちたとはいえ骨も折れていない。しかもその後木にぶつかったダメージもほとんど無いのだ。
 まだ経験の浅いナデシコにはとても理解が及ぶ話ではない。
 だがアイリスの診断は知識と経験からくる大変優れたものである事を、ナデシコは知っている。
 「う……い、痛え」
 それに目の前には事実無事なギルバートがいるのだ。ただし筋金入りの頑丈さが有ってこそだ。だから良い子も悪い子も真似をしてはいけない。
 「あっ! 目が覚めた? まだ痛い?」
 アイリスが声をかけるとギルバートがゆっくりと目を開く。
 「え〜っと。ああ、そうか」
 気を失う前のことを思い出した後ゆっくりと小さく体を動かし、異常がないかを確認してゆく。やっぱり随分と手馴れていた。
 「大丈夫だな。で、どうかしたのか?」
 「う、うん。例の老人が」
 少し慌てたようにアイリスが話し始める。
 「どないかしたんか!?」
 期待に満ちた目を向けて、ギルバートよりも一足早くナデシコが話しに跳び付いた。
 「見つかったわ。それで、ワイスンさんが話があるって!」
 例の老人とは以前の任務で捕らえ損ねた犯罪者だ。
 マジックアイテムを用いて魔獣を操り戦うビーストテイマー。魔獣が有効な兵器となり得るこの世界では、放っておくと戦争にも繋がりかねない。各国のモラルが低下しどこかが軍備を増強すれば、途端に各国の均衡は崩れ去るからだ。それにビーストガーズができた事にも、魔獣の保護と管理によって各国の均衡を保つという理由がある。
 ただの動物保護機関では片付けられない巨大組織。それがビーストガーズだ。
 三人ともその事は知っている。だがそんな事を抜きにしても、彼の操る魔獣に襲われてギルバートは死に掛け、アイリスも入院していた。戦う理由は十分すぎる。

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