「どうや! これでも買い被っとったか!?」
 ナデシコがあさっての方角に拳を突き出して老人を挑発する。「こっちだから……」とアイリスがナデシコの向く方向を調整した。
 「あ、そっち? ありがとうな」
 老人はそんな二人と、こちらから注意をそらさないフィソラを見つめる。
 買い被っていたなど、とんでもない間違いだった。
 「認識を改めよう……。見くびっておった」
 「降参してくれますね?」
 「ふぉっふぉっ! よくやったと褒めておこう。じゃが、まだまだ読みが甘い」
 アイリスが言うなり老人はそれを嘲笑し、同時に無数の金属音が響く。アイリスの後ろからだ。
 「フィソラ! ブレス!」
 フィソラが後ろを向いて息を吸い込む。アイリスが琥珀を取り出し、指輪の穴にはめた。
 フィソラの体が一瞬の光と共に変化する。
 光沢の有った白色の鱗が、ひび割れた薄緑色の鱗へ。表面の鱗は鎧のような物だ。更に奥に本当の鱗がある。
 地属性を示す額の緑の水晶が光り輝き、少し太さが増した胴体を太い四本の足で支える。
 ダイヤモンドドラゴンと呼ばれる地属性のドラゴンだ。
 変身を完了したフィソラが鉄の籠に向けて黄色い麻痺ブレスを吐きかけた。
 「……そんな…………」
 「何が起こったんや!? なぁ!アイリス!?」

 鎖で作られた籠、それの下には大きな穴が開き、フィソラがブレスを吐くもほとんどの魔獣がすでに脱出していた。
 だがあの鎖はアイリスが限界まで魔力を込めて作り上げた物だ。その硬さは鉄の限界を超え、破壊する事は至難の技。 それを五本も組み合わせた。ほとんどの魔獣にとって、破壊は不可能なのだ。
 「随分と時間がかかったがこの森には、あれがおった。管理する者にしては随分と無知ではないかな?」
 劣化し千切れた鎖の下には、たった一匹の小さな蛇。手の平程度の大きさしかない。頭には王冠の形のトサカを持ち、常に体の中央を上げてアイリスとナデシコに近づく。
 「嘘……でしょ……」
 アイリスが絶句し、息をのむ。
 その蛇の緑色の体は鎖を腐食させた毒でぬらぬらと光り。相手を石へと変える瞳は怪しく金色に光る。
 さらには目に見えない猛毒の息を吐く事もできた。
 アイリスがそっと指輪から琥珀を外し、フィソラの変身を解除した。地属性は飛ぶのに向かない。アイリスがナデシコの手を握る。そしてフィソラには念話で、ナデシコには誰にも聞こえないよう小声で話しかける。
 「お願い、とにかく今は逃げて……」
 その声には必死さが篭っていた。言い返そうとしたナデシコが、アイリスの顔を見てただ黙りこむ。
 どことなく絶望感が漂う。
 「急いで!」
 「やれ! バジリスク!」
 その名を聞いたナデシコは、声を出す事も出来ないでいた。
 蛇の王、小さき王。それらの名で呼ばれるその蛇の真の名だ。古から生き、少しでも魔獣について学んだものは誰もが恐れるだけの力を持っている。
 全ての毒蛇の王、ある宗教では死の象徴。あまりに危険であるため、一度出れば軍隊が退治に向かう程だ。ビーストガーズも他の生物を守るために駆除を容認している。
 極めて希少なためはっきりとした棲み処も持たない、まるで自然災害のようなこの魔獣が、よりによって老人の来るこのタイミングでこの森に発生していたことは不運としか言いようがない。
 対抗策が無い以上逃げるしかないのだ。フィソラが飛び立つ。ナデシコも飛び立つ。
 その手は随分と軽かった。
 飛び立つ瞬間にアイリスが自ら手を放したのだ。人を運ぶために翼に力を込めた分、ナデシコは必要以上に高く飛び上がる。すぐにアイリスは見えなくなった。
 「村の人達を避難させて! 時間は稼ぐから!」
 暗闇の中で声だけはしっかりと聞こえる。
 『「アイリス!」』
 助けに行こうにも、もはやどこにアイリスがいるのか分からない。それでもナデシコは下りようとしたが、フィソラが巨体で遮った。
 『アイリスは簡単にやられはしない! それより村人を避難させなければ!』
 ナデシコにその言葉は伝わらなかったが何度も何度も振り返りながら、ナデシコはフィソラの後をなぞるように飛んだ。
 そうしなければアイリスの時間稼ぎは無駄になり、何人もが死んでしまうのだ。

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