とうとう群れが草原に突入した。地形が良くなった事でスピードがさらに上がる。ここまで来れば村は目と鼻の先、あとほんの少し走れば村へと入る。後は精鋭部隊を自分の回りに置き、残りの魔獣を村で暴れさせればいい。
そうすれば四属の巫女もクウォーターの少女も、互いに守り合う余裕など無くなるだろう。
それが老人の作戦だ。そしてその通りだった。
魔獣が村に入るまであと数メートル。
老人の目の前に、さほど頑丈でない柵が迫る。
最初の魔獣が、村を守る柵に触れた。
何の抵抗も無く柵が破れ、ガラガラと音が鳴る。魔獣を止め老人が周りを見回すが、誰1人いない。
「……買い被っておったか」
老人は2人の抵抗を予想していたのだが実際はこの通りだ。何の抵抗も無いままに柵は崩れ、道に人影は無い。そして民家には光が灯っている。
「まあ良い。まずは手近なところから……」
老人が魔獣を放とうと……
「大地に眠りし、鉄の塊、今敵を拘束する鎖となってかの者の動きを止めよ “グランドチェーン”」
声と共に老人の周辺の地面から数本の鎖が現れ、互いに絡み合い籠のようなものを作り上げてゆく。半分ほど鉄の籠に閉じ込める事ができたが、老人は素早く指示を出し、大きな鬣と黄金の体を持つライオン。ネメアの獅子の背中に移って脱出した。
「まだまだぁー!」
ナデシコが路地から飛びだした。疾風のような動きはクイックウインドによってさらに増し、電光石火の俊足で真っ直ぐ老人に迫る。だが、老人は慌てず魔獣の群れをほんの少しだけ移動させた。
情報が漏れたため、ナデシコが夜間に目が見えないことに老人も気が付き、だからこそこの時間を選んだ。直線的なこけおどしの突進と高をくくっていた。
「ほいっと!」
だがナデシコはその動きにあわせて横に飛び、魔獣の首元に手刀を叩き込んでゆく。軽い手刀も今のナデシコの速さならば、とてつもない威力だった。
魔獣に意識が無ければ操ることなどできない。次々に魔獣が行動不能になってゆく。老人が距離を取るがもはや遅い。今老人の持つあらゆる手を使っても、ナデシコを引き離すことは不可能だ。
ナデシコが、ケルベロスを飛び越え老人に迫る。
「くっ!」
老人が何か利用できる物は無いかと辺りを見渡し、気が付いた。家の明かりという明かりがつけられている。
老人の周りを取り囲む獣のほとんどが、家屋の戸を破り中に突入した。
「逃げて!」
信心深い者達は天使の味方だ。そうでない者もビーストガーズの味方だ。ナデシコが明かりをつけて避難してくれるよう頼んで回れば誰も断る者はいなかった。だが目を補助するための光が消されると、そして当のナデシコは老人の周りから魔獣が消えた事にしか気づいていない。消えた分がどこへ行ったかなど知る由も無い。様子を伺っていたアイリスが物陰から飛び出し、ナデシコに声をかけた。その間にも光は消えていく。
すぐに真っ暗になった。
ナデシコの拳は老人の顔のすぐ横を通り過ぎ、老人の放った獣が闇の中でナデシコに飛び掛かる。喉ぶえに喰らいつこうと迫る真っ白な牙。ナデシコは唯一見えるそれを必死に押さえ込む。
それを満足げに見た老人が、辺りを見渡す。
入ってきた場所には魔獣が何体も捕らえられ、さらにナデシコの猛攻で数10体がのびている。さらに家屋に向かった魔獣は全て戻ってこない。アイリスが仕掛けたトラップだ、状態異常を解くエリクシールという魔法薬を同名の魔法によって霧状に召喚し、部屋に充満させておいた。
老人の近くには数体の魔獣が残るだけだった。
「フィソラ!」
闇の中で、ナデシコの隣に光が出現する。フィソラが必要なのではない。発生した光の玉はフィソラが出るまで辺りを照らす。ナデシコは魔獣の種類を確認するなり急所である鼻に拳を当て、「だぁー!」と奇声を上げながらバランスを崩した魔獣を投げ飛ばした。
そして脱出したナデシコと出現したフィソラはすぐにアイリスの元へ集結する。
短時間の間に戦力差は大きく縮んだ。老人の力はおそらく最初の一割程度だろう。
対する2人と1匹はフィソラの変身を使わず切り抜けたことで、この先は臨機応変に対応する事ができる。
老人が魔獣を解放しても、この数ならば十分に太刀打ちできるのだ。
「……成功したわね」
アイリスが胸を撫で下ろし、戻ってきたナデシコにハイタッチをして成功を伝えた。
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