満天の星空を見れば少しは気分も変わるかもしれないと、アイリスは外に出た。
 一応北の国に来ているため、この時間になると肌寒い。だが空気は綺麗だ。それゆえに評判になっている。
 「なんて……綺麗なの……」
 手を伸ばせば届きそうな、無数の星の煌めき。
 噂以上だった。これをギルバートも見ているのだろうか。思い出すと、また不安に駆られた。
 「大丈夫……絶対、大丈夫……」
 そう呟きながらアイリスは深呼吸をする。冷たい空気を肺一杯に吸い込むと、また少し落ち着いた。座るところは無いかと、辺りを見渡す。
 「ナデシコ……。もしかして、ずっと外にいたの?」
 少し離れたところでは、ナデシコが焚火の前でじっと一点を見つめて座っていた。どこか虚ろなその様はまるで葬式の参列者のようだ。これでも少しは落ち着いてきている。
 「風邪をひくわ……一度中で……」
 「なぁ、何が見える?」
 あれから初めて、ナデシコは口を開いた。
 「森でしょ? 何かあるの?」
 「そっか……こっちでおうとったんや」
 無感情に、何の気持ちも感じられない声で。いや、そうではない。絶望だけは感じ取れた。
 ナデシコが元気になるために今できることは何も無い。そう思えてしまうほど彼女の状態は酷い。少なくとも、今のアイリスの方がまだマシだった。
 ナデシコはアイリスが部屋で静かに泣いていた間中、ただじっとしている事もできず外に出て、そのまま話すこともなくじっと座っていた。初めはギルバートを待つために、そして今は何も考えないために。考えて出る事といったら絶望的なことばかり。
 そんなナデシコを慰めたくてもどうすればいいかなど何一つ分からなかったアイリスは、ただ隣に座ることにした。話を聞くぐらいはできると思ったのだ。
 ナデシコが話し始めたのは、これでも少しは少し落ち着いたからなのかもしれない。それなら聞いてくれる人がいるだけで随分違うだろう。
 「やっぱりギル様は凄い……ウチなんて足元にも及ばへん。
 なあアイリス。さっきどっから来たん……?」
 アイリスが来た方向には宿屋がある。明かりを壊してしまったために真っ暗だが、それでもアイリスには壊れかけた輪郭がはっきりと見えていた。
 「見えへんのや。ウチにこんな弱点があるやなんて自分でも知らんかった……」
 「夜道を歩いたりしなかったの?」
 「みんながウチより見えとるなんて分からんやん。
 言うてへんのに、ギル様はそれも全部見抜いて、ウチも倒して、あんたの作戦もすり抜けたんや……」
 優秀な戦士と策士に勝つ。それは並大抵のことではない。もちろん二人とも冷静ではなかったが、それでもひとつの事に必死になればある程度の力は出せるものだ。
 そして事実、二人の力は決して低いものではなかった。もしビーストガーズの団員が他にいれば、誰でも三人の戦いに舌を巻いていただろう。それほどの力が出せていた。
 「ウチ言うたやろ? 『行ったらあかんのはウチ等に負けたギル様や!』って
 それってつまり、勝ったら行ってええってことやんか? ほんでギル様は、ウチ等に勝った」
 「あんなの隙をみて逃げ出しただけよ! 負けてなんか!」
 ナデシコが力なく首を横に振る。
 「ウチ等はギル様の出発を止めるために戦っとった。ギル様はそれを突破した。
 ウチ等が全く無傷やったとしても、この結果は完璧にギル様の勝ちなんや。そやろ?」
 「……」
 ギルバートに負けた。それはナデシコにとって実はそう大した事では無い。ギルバートの強さは憧れの対象なのだから「あの人やったら仕方ない」の一言で済むのだ。肝心なのはその人が今から危険な戦いに望むという事。
 せめてちゃんと話し合って、万全の体制でギルバートを送り出すべきではなかったか……。冷静になったナデシコは今、そう感じていた。
 「ウチは最後まで足を引っ張った! あの戦いでギル様はどっか怪我したかもしれん!」
 悲鳴のような声を上げ、ナデシコが深くうなだれて体を揺らす。髪が火に近づいて燃えそうだったが、その熱すら感じていなかった。
 「なぁアイリス! ギル様は大丈夫なんか!? 生きて帰れるんか!?」
 ナデシコがアイリスの両肩をぎゅっと掴んで揺さぶった。アイリスも抑えていたが同じ気持ちだった。今ギルバートは、死地にいるかもしれない……。必死に戦っているかもしれない……。
 『私がいたほうが良かったでしょ?』と声をかけることさえできたら……。そう思うと今すぐ森に向かって走りたくなる。  だがそれでも、ナデシコの目を見てはっきりと告げる。
 「……生きて帰ってくるわよ。絶対」
 ナデシコが「何でそんな事言えるんや!?」と食って掛かる。アイリスは黙ってそれを聞くだけだ。根拠など無いのだ。
 だが、これまでギルバートは死んだだろうか?思えばこれぐらいの危機は何度かあったんじゃないか?
 そしてそれらは一言にまとめられる。
 「ギルバートって……しぶといから……」
 『ああ。あれほど頑丈な人間は見たことが無い』
 「ギル様は別に不死身やないんやで!?」
 また沈黙が続き、アイリスが考えをめぐらせる。出てきた答えはナデシコと同じく嫌になる物がほとんどだった。だが今までその心配が当たった事は無い。
 「……大丈夫よ。それに前の任務では私を信じて待っててくれたじゃない。私とギルバートだったらギルバートのほうが絶対頑丈よ!
 それに……待つ以外に何かできるの?」
 「……」
 この暗闇の中、二人が森に入ったところで何もできはしない。下手をすればギルバートが居ない中で奇襲を受ける。その末路はあまりに悲惨だ。
 そんな事はナデシコだって分かっていた。だがそれをアイリスから言われるとは思っても見ないことであった。
 いくらか気分がマシなように見えても、アイリスだって同じように苦しんでいると思っていたのだ。
 「なんでそんなに落ちつけるんや? やっぱりウチ等が完敗したからか?」
 確かにギルバートは強くなった。だが老人も強くなっている可能性が高い。彼が無事だという根拠にはなり得なかった。
 「私は、ギルバートを信じることにしたの! 守ってくれるって……約束してくれたから……。
 だから根拠なんて無いけど……戻ってくる! 絶対!」
 直感という概念はあまりに抽象的で、何の根拠にもならない。だが強い信用とも言えるそれが、今のアイリスを支えている。
 ナデシコはそこまでには成れなかった。一緒に居た時間があまりに違うのだ。
 だが、そうすることが大事ならそうしたいとも感じた。
 「そやな……ウチも信じる! ギル様は絶対戻ってくる!」
 心はそうそう変えられる物ではない。信じると宣言してもなかなか信じる事はできないものだ。
 だが演じる事はできる。形から入ればいずれ中身もついてくる。だからナデシコも、まずは信じようと心がけることにしてたとえ空元気であっても、そう見えるよう振舞う事にした。
 「ありがとうなアイリス。もう大丈夫や!」
 「良かった! 食事ができたそうよ」
 アイリスが微笑みながらナデシコに話しかける。
 ちなみに宿屋は天使らしきナデシコとビーストガーズの信用に免じて追い出されてはいない。気の長いオーナーである。
 「それから、一階は使い物にならなくなっちゃったから部屋で食べる事に……」
 「ちょい待ち、そんなんどうでもええ! ………えらい事に気が付いてしもた……」
 ナデシコがただならぬ様子で立ち上がる。
 とてつもなく嫌な空気を漂わせているが、さっきのような絶望的な物ではない。……なんとなく漂っているものは、不安や困惑だろうか。
 「どうしたの?」
 なんといってもナデシコだ、大事なことから忘れてゆく。もちろん大事でないことも忘れてゆく。今回はどっちだろうかと、アイリスが少し心配そうに話しかけた。
 ナデシコはゆっくりとアイリスに顔を向け、重々しい口調で問いかける。
 「守ってくれるって……どういうことや……!?」
 「あっ……」

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