「どういうことや! ウチは一言もギル様一人が向かう理由なんて……!」
「もうすぐ夜だ。そして俺達はこの森に入るのが初めてだ」
冷静に、あくまでも冷静にギルバートが言葉を紡ぐ。怒り狂っていたナデシコもその様子を見てぐっとこらえた。
「あいつは森に入るのが3日目。だよな? アイリス」
「……うん」
夜という一言で、言わんとしている事が少し分かったアイリスはしょぼくれていた。
つまり、アイリスの強さが足りないのだ。
「暗闇に乗じて相手は奇襲し放題だ。しかも3日目なら俺達よりは土地勘もある。確実に狙ってくるだろうな……。そんな中をアイリスが動き回って、戦う余裕があるとはとても思えない。
しかも俺達は別に暗闇に強いわけじゃない。というよりナデシコが鳥目な分弱い。そんな中歩き回るのは危なすぎる。
それが俺はどうだ? この中で誰より敵意に敏感で奇襲に対応できる。ある程度なら夜目も効く。安全に動き回れるのは俺だけだ」
完璧にギルバートの言う通りなのだが、だからといって納得できるものではない。
「あなたがいない間に老人が帰ってきたらどうするの!」
小さなことには気がついていないはずだと思い、アイリスはあえて分かっていることを口にした。
要はギルバートが答えられなければいいのだ。それでこの作戦は駄目になる。
「前に戦ったとき、老人はわざわざ生かしたままで俺を連れて行こうとしたんだったな。あの殺人快楽主義者があえて殺さなかったって事は、俺に対してよっぽど強い執着心を持ってるって事だ。
なら俺が森にいる間に村に向かうことはない」
あっさり返されて言葉に詰まったアイリスが、必死に問題点を探す。
「で、でも! あなたに気づかなかったら!」
「三日間村にいて、森に入って、しかも無数の獣を操っている。これだけあれば森への侵入者を見つける方法なんていくらでも用意できるさ」
揚げ足でもなんでも、とにかく反論の糸口を探そうとアイリスもナデシコさらに頭をひねるが、何も出てこない。それだけ的を得ていた。
「それに何より……俺はお前達を危険にさらしたくないんだ」
的を得ているからといって、そんな事を言ってくれる人を行かせられるだろうか?
少なくともナデシコには無理だった。
「……あかん……。行ったらあかん!」
ナデシコが急に立ち上がりギルバートの正面に回る。両手を広げ、声を張り上げた。
「理屈? 戦略? 事実? んなもん何の関係も無い! あかんのや! 危ないからギル様も行ったらあかんのや!」
半狂乱での悲痛な叫び。もう考えも何も無いただ気持ちの塊であるその言葉に、ギルバートの心が大きく揺れる。だがはっきり言って、ナデシコはこの闇の中では戦力外。
実戦経験に基づく勘も無ければ、視覚も無い状態。そんな状態では野生の獣とすら渡り合えないのだ。
「ナデシコ、俺を心配してくれる気持ちは嬉しい。けどな、気持ちだけじゃどうにもならない事もある」
「うるさい! うるさい! うるさい! 絶対行かせへん! どうしてもやったら、ウチを連れてって!」
大きく首を横に振り、涙を撒き散らしながらナデシコは絶対に退こうとしない。だがこのまま老人を放っておくわけにも行かない。確実に誰かの命が失われるのだから。
「はぁ……。アイリス……ナデシコを止めてくれ……」
アイリスならまだ冷静なはずだと思い、心苦しく思いながらも仲間への攻撃という最低の頼みをした。
アイリスはうつむいていた。だが、言われたとおりに口が動く。
「大地に眠りし、鉄の塊、今敵を拘束する鎖となってかの者の動きを止めよ “グランドチェーン”」
唱えられた呪文はギルバートの望んだ物だ。宿の玄関から数本の鎖が伸びてきた。
それは一瞬にして対象を絡めとり、そのまま空中で固定した。
「お! おい! アイリス!」
絡めとられたのはギルバートだった。
「ごめんギルバート。……………私………………もしあなたが死んだら…………」
そう言ってアイリスが泣き崩れると、ギルバートの心は先ほど以上に大きく揺れた。
だが、奥歯を噛み締めて踏みとどまる。ここで譲れば、危険なのはこの二人なのだ。
『アイリス。いざという時は私も全力で止める。すまないが、そうギルバートにも伝えてくれ』
「フィソラも……あなたを全力で止めるって」
ナデシコが荷物からグローブを取り出し装着する。アイリスは泣きながらもギルバートの一挙一動を見つめる。二人ともギルバートがこれで大人しくなるとは露ほども思っていなかった。
だがギルバートがこの二人を倒したとしても、まだフィソラがいる。
必要ならばこの宿を破壊するのは間違いない。
何をしてでも止めるだろう。
この場でのギルバートの選択肢は3つ。
老人を諦める事。全員が怪我一つ無く帰る事ができ、代償に多くの人間と動物の命が消える。
宿屋で老人を待つ事。老人は来るかも分からず、いざ戦いになれば多くの村人が巻き込まれる。
そして最後は……
「悪い!」
そう言った刹那の間にギルバートは剣を抜き、鎖を切り刻む。チャリンチャリンと高い音が響いた。
最後はこの場を突破する事だ。村人、アイリス、ナデシコ、数多くの人を危険から遠ざけ確実に老人と出会う。
たった一人、ギルバートが危険に晒される事を代償として……それがギルバートの選択。
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