「はっ………」
老人の笑顔が凍りつき、ゆっくりと両手を挙げていく。
「なにかいい事でもあったのか?」
ギルバートが老人の後ろに立ち、首に剣をあてている。
数ミリ。わずかに動かせば首が飛ぶ。
「ほぉ。骨が砕け、血まみれになり、さぞや見ごたえの有る死に方をしたと思ったのじゃがなぁ」
ギルバートの破けたリュックから、さらさらと白い小石が落ちている。
「あの程度で砕けるのは皿ぐらいだろうぜ」
口の端を少し上げ、口元だけで笑う。
「ギル様!」
ナデシコが、ギルバートに呼びかけると、青ざめていた顔が緩んでいく。
「ナデシコ。後はアイリスの補助を頼む。
こっちは詰めだ」
と言いながら、開いている左手でムチを奪う。
ナデシコは頷いてアイリスの方へ、十分な戦力になってくれるはずだ。
「ビーストガーズ、ランク新人のギルバートとしてお前を逮捕する!
容疑は……アイリスの言ったとおりだ」
「そこさすがに言わなあかん!」
かっこよくしようと大きめに声を出していた。離れたところにいるナデシコが絶妙のタイミングで突っ込みを入れる。
「…………」
「動物虐待と密猟!」
ギルバートが黙っていると返事が来た。
「動物虐待と密猟の罪で逮捕する」
所属、ランク、容疑。それらを話して捕まえるのは団員の決まりだ。
それが無いと、犯人の異議申し立てが聞けない。団員の不等さを無くすための措置である。
「銀髪の男」で分かりそうだが、それでも決まりは決まりだ。
「まさか……こやつに挑むとは」
老人の隣には大きな牙と爪を持つ凶暴そうな、そして実際に凶暴な魔獣マンティコアがいる。
森との境界を囲んでいるのだが、主人の方を見ようともしない。まるでマニアックな人形だ。
「お前らが、本当の仲間だったら負けてた。
催眠術かなんだかは知らないがどっちにしたって、指示がない限り動かないからな。
ここから逃すな!とでも言ってたんだろ?突破した後は見張りに戻ってたぜ」
あれほどの数を普通の方法で操るのは不可能。
ならば暗示かそれに近い何かに間違いない。
つまり魔獣に自由が無く、命令を聞くだけの機械として操る狂気の方法だ。
マンティコアは足元を一瞬で通り過ぎたギルバートを見ても追いかける事無く監視を続けていた。
あとは素早く忍び寄ればこの通りだ。
からくりが分かっていれば、弱点をつくのは容易い。
「一つ聞きたいんじゃが」
前を見ていた老人が口を開く。
「あれを見て、なんとも思わんのか?」
老人の視線の先では、無数の獣とアイリス、ナデシコ、フィソラが戦っている。
ただし老人の視線はフィソラと周りの魔獣にのみ集中している。ギルバートもそれに倣った。
フィソラがブレスを吐いているがそれだけで抑えられる数ではなく、怪我を追った獣は数知れない。
「醜い戦いだ」
「そうではない……」
少しも逃すまいとするかのように老人は戦いを見つめている。その肩が小さく揺れ始めた。
「ふぉっふぉっふぉ、愚かな!素晴らしいとは思わんのか!?」
剣を突きつけられているというのに高らかに笑いだす。
あまりに気味が悪く、ギルバートが顔をしかめる。
「魔獣!ドラゴンとの戦い!
何の力も無い、動物という脇役!
こやつらは戦いの中で散る時こそ最も美しく、光り輝く!
この戦いは、わしの夢!理想!
理解できぬとは、……愚か以外の何物でもない!」
「言いたい事は、それだけか?」そう言って、ギルバートがさらに剣を近づけた。
少しミスすれば首が落ちる。いや、首が落ちても構わないとすら心のどこかで思っている。
事故で片付くはずも無かったがそんな事は忘れていた。今は、理性で必死にそれを抑えている。
しかし老人は声の調子も崩さず、余裕の表情で静かに、堂々と立っていた。追い詰められた姿には見えない。
逃げる気かと思ったギルバートの意識がより一層老人に集中していく。
老人の呼吸音にすら注意を払う。そんな小さなことでも、変化があった時点で組み伏せるつもりでいた。
老人の思うつぼであった。
「ギル様!危ない!」
ナデシコの声が随分と遠く、小さく聞こえた。
反射的に体が動いたが、激しい痛みと強い衝撃がギルバートを襲う。
「……惜しい。心臓ではなかったか」
ギルバートの腹から角が突き出していた。
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