「何かいたか?」
「駄目!虫一匹見当たらないわ!」
森の中心まで来たが、何もいない。反対側のやぶを探していたアイリスも、こう言ってるし。
変だな。
そもそも整備されていない森では、水場を中心として、森が生育する場合が多い。
予想通り小さいながらも澄んだ泉があり、光も降り注いでいたが……それでも動物はいない。
もう一度確認。光が射す分下草が生い茂り、草食動物には適した環境、水場もある。
そして、それを狙う肉食動物がいるはずだ。
俺たちに驚いて逃げたってのも考えにくい。アイリスが、尋常じゃないほど動物に好かれるからだ。
それに、逃げたとしても足跡は残る。それすら無いんだから、ここしばらくこの水場に動物が来ていないって事だよな……。
念のため、ナデシコとフィソラに空から見てもらっているが……。こりゃ駄目だろうな。
「ギル様!大変な事になっとる!」
ナデシコが、慌てた様子で降りてきた。
なぜか両手にグローブをはめているが、以前俺が見たアルタイルのグローブとは違う。
あれは手のひらだけだったが、ナデシコがはめているのは手全体と肘までを覆っている。
グローブというよりガントレットに近い。
ガントレットとは、腕を守るための防具の一種だ。。
ナデシコの物は銀色の金属で作られており、光を受けて輝いている。
端っこには一箇所小さく光らない部分があり、Wの文字。
そしてなぜだか、手の甲に当たる部分には小さな筒状の物がついている。
とにかく武具に間違いない。なぜそんな物を着けてるんだ?
「動物がおった!」
「良かったじゃないか!」
それなら問題ない。隠れていただけかもしれないし簡単に伝えておけば……あれ?
「慌てなくてもいいだろ?」
ナデシコの顔からは、鬼気迫ったものを感じる。
「ちゃうんや!」
グルルルルルル!
急に動物の唸り声がした。周囲を見ると、いくつもの目が光っている。
とんでもない数で、しかも、敵意を感じる。
「あかん!間に合わんかった!」
「どういうことだ!?」
「動物が、みんなこっちに向かって来よるねん!
しかも凶暴な奴だけやのうて、何でもかんでも襲ってきてる!」
「それを先に……!」
言いかけて止まる。よく見るとナデシコの服はボロボロ。空でも襲われたのだろう。
だとしたら、慌てていたのも仕方ない。
「数が少ないわけでもないで!ウチらの通ったとこ以外は動物だらけや」
『アイリス!』
フィソラが降りてきた。こっちはこっちで鱗が数枚はがれ、痛々しい。
「待ってて!今すぐ回復魔法を!」
『そんな暇はない!来るぞ!』
フィソラが上を見た。
急に暗くなった。太陽を覆ったのは雲ではない。
鳥。ありとあらゆる鳥がくちばしをこっちに向けて突っ込んでくる。
一部には魔獣の姿もあった。
あのスピードだと止まれない。地面に叩きつけられる!あいつら死ぬ気か!?
「琥珀使うわよ!」
言うが早いか、アイリスがリュックから黄色い玉を取り出し指輪のドラゴンの頭の穴にはめる。
フィソラの体が光りだし、体がひび割れて黄緑色に変わった。地属性のダイヤモンドドラゴンだ。
「強き攻撃の象徴よ、彼女に一時力をかしたまへ “ファイアブースト”」
フィソラの体がうっすらと赤く光りだす。攻撃の威力が上がる魔法だ。
より強くなったフィソラが上を向き、黄色いブレスを吐く。
鳥の軍団は、まるで黒い天。
そしてフィソラが吐いたブレスは真っ直ぐに、さながらそれを支える柱のように伸びて天を黄色に塗り替える。
麻痺ブレスだ。全ての鳥が痺れ、息の風圧でくちばしがバラバラな方を向いた。
だがこのままでも、硬い物がすごい速度でぶつかるようなもの。
死なないかもしれないが、死ぬかもしれない。
「我らを守りし強き鎧よ、ここより5の空間を隔て、かの者の攻撃を防ぎたまへ“エリアディフェンション”」
アイリスを中心とした半径5メートルの範囲にバリアーが張られた。
高さはちょうど、突っ込んでくる鳥達のすぐ下だ。
ドーム上の天井に、鳥がぶつかって止まる……。時々、嫌な音も鳴った。
一匹も動いていない。
アイリスがそれを見つめ、魔法を解くと、何体もの鳥が落ちてきた。
動いていないのは痺れか……それとも……。
生きている個体がいるのはアイリスのおかげだ。
ブレスは強い息、しかも痺れればいくらかは減速する。
バリアーをそのすぐ下に出したから再加速せずに済んだ。
「一体どうなってるんだ?」
いきなり襲ってくる、森の動物。
生物にとって大事なのは子孫を残す事だ。その前に死んだら意味がない。
集団で一度に死ぬなんてありえない。
「まさかとは思うけど……」
アイリスは、分かっているのか?
「どないなっとるんや!こんなん聞いた事ない!」
俺もそうだ。
「ないはずよ!こんな残虐な戦い、資料にすら載せられない!
それに今はもう、こんな必要ないんだから!」
戦い?誰かが絡んでいるのか?
アイリスが死にかけた動物を見て、大粒の涙を流し、大きく息を吸う。
「隠れてないで、出てきなさい!
あなたを動物虐待と、密猟の容疑で逮捕します!」
森中に声が響いた。
ただの密猟者?そんなバカな事あるか。
こんな大量の動物、しかも魔獣までいるのに操りきれるはずが無い。
ただ、アイリスが何の自信も無くこんな言い方をする事は考えられない。だとすると……やっぱり。
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」
俺達の目の前でいくつかの目が消え、そこから笑い声が聞こえる。
「よもや、若輩者に見破られるとはのう……。
わしのような者は、すでに表の世界では忘れ去られたはずなんじゃが?」
しわがれた低い声。男性の物。
ナデシコが左のグローブに着いた筒の先を引っ張ると一部が外れた。
取れた部分と筒は、細い鎖で繋がっている。
かなり長い……というより明らかに入らないはずの長さの鎖。
「隠れとらんと!」
それを頭上で振り回す。
「さっさと出て来ぃ!」
そう言って投げる。鎖ハンマーともいえるそれは、まっすぐに目のない部分へと進んでゆく。
あの速度と方向なら、簡単には避けられない!足元を狙っているし死にはしないだろう。
低い音。木や岩ではない、柔らかい物にぶつかったような音だ。
うまく昏倒してくれれば!
「なかなか上手いのう……じゃが……」
誰かが暗がりから出てきた。手に何か持っている。
「盾ならば、いくらでもあるわい」
手には緑の動物の尻尾が握られていた。
こっちの世界で普通に見られる哺乳類。カーバンクルだ。
よく見ると、分銅から刃が生え、体を貫いている。
ナデシコが慌てて手を動かし鎖が巻き戻された。……後の祭りだ。
「もう役に立たんか」
老人が傷ついたカーバンクルをアイリスの足元に向けて放る。
二、三度地面で跳ねると、そのたびにか細く鳴いた。
アイリスは悲しみと怒りに溢れた瞳で。
ナデシコは正義感に燃えるまっすぐな瞳で。
その哀れな動物を投げてよこした老人を見ている。
俺もはらわたが煮えくり返っていた。
髪は白く短い。
顔のしわは深く見た目は80ぐらい。
ひげも髪と同様に白く三角に整えられている。
背は高い。笑っているが、どこか薄ら寒い感じだ。
そして黒い着物のような服を帯で結んでいた。
「あなたはビーストテイマー!魔獣使いですね!」
「うむ」
「魔獣使いが自分の魔獣にどうして、こんな……」
アイリスが、自分の足元のカーバンクルを悲しそうに見つめた。
リスのような姿で弱々しく、だが魔獣ゆえの生命力で生き残っているがこのままだとそれは、
苦しむ時間が長いだけだ。
「役立てるために、決まっておろう?ドラゴン使い」
ビーストテイマーと呼ばれた老人は、それが当然のような顔でそう答えた。
ドラゴン使いなのに、なぜドラゴンを身代わりに使わないのか。そんな事を逆に聞かれているように感じた。
「それだけのために!こんなんやったんか!?」
ナデシコが怒鳴る!俺も言ってやりたいが、全員が冷静さを失うのはまずい。
イライラさせるのも、相手の作戦のうちかもしれない。
「道具は役立たねば、存在価値がなかろう!?」
「あなたは……!」
アイリスの言葉を俺が手で静止し、前に出る。
見渡す限り、怪我をした鳥。方法は分からないが、あいつがやった事に間違いない。
アイリスの近くには、傷ついたカーバンクル。血が止まらず、このままだとまもなく死ぬ。そろそろタイムリミットだ。
俺もナデシコも、どうにもできない。だが、
「お前にしか出来ない事があるだろ?後のことは気にするな」
「ごめん……」と言いながらアイリスが静かに頷き、呪文の詠唱を始めた。
「あらゆる命の母、太古の海よ その力を持って愛しき者達を癒したまへ “キュア・バブルズ”」
そう言った瞬間、泉から無数の泡が出現した。
泡は勝手に飛んで行き、”死んでいないが大怪我を負った者”を見つけると、キュアバブルとして発動する。
それがこの魔法だ。
さっきの鳥大半と、カーバンクルに発動。
これで、助かるかもしれない。ただし……。
「アイリス、どないしたんや!?」
……強力な魔法は、術者に負担をかける。
大量の魔力を一度に使うという事は、こういうことだ。
老人を見張る俺の変わりに、ナデシコがアイリスを支えてくれた。
「大丈夫……」そうは思えないな。
「異常なほど魔力を消費するからな……フィソラを変身させながらだとさすがに……」
「なんでそんな指示をしたんや!」
戦闘の最中での無力化。それは死につながる事もある。ナデシコが怒るのも当然だ。
だがこれは……
「違うのナデシコ……。ギルバートは私のわがままを聞いてくれただけなの!
二人ともごめんね。私に付きあわせて……。サポートもできないけど……」
「何とかなる。気にせず休んでろ」
「ギル様ごめん、理由も知らんと……」
「気にするな」
こうするのは、アイリスの願いだ。
目の前の命は可能な限り全て助けたい。無茶もここまでくると理想だ。
そして、理想は叶えるに越した事は無い。
無茶な理想、そして誰かのために、本当にそれをしようとする。それは良い事か悪い事か。
俺は好きだ。だから、俺の理想だ。
「フィソラ。アイリスに指一本触れさせるなよ!」
『もちろんだ』
フィソラがアイリスの着ているローブの箸を噛み、そのまま自らの背に乗せる。
アイリスは、ぐったりしながらもフィソラの背びれを掴んだ。
地属性に変化したフィソラは守りに特化している。
任せておけば大丈夫だ。
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