あなたは注目してください。これが、あの男である。もしも私が異教徒の諸々の作品を所有していたり読んだりしているところを見つけられたら、私はあなたを否定したと、キリストに言ったあの男である。或る人は、彼なら結局のところポリュフュリオスを除外しただろうと考えるかもしれない。なぜならポリュフュリオスは、キリストの特別な敵であり、力の限りを尽くしてキリスト教を完全に転覆させようと努力したにもかかわらず、今では彼は、自分を論理学へと手引きした教師として彼を持ったことを誇りにしているからである。彼は、それらの事柄を(回心の)以前に学んでいたと、嘆願の中に含めることはできない。なぜなら彼は、回心の前は――そして私も同じく――ギリシア語とギリシア文献とにはまったく無知だったからである。それらのすべては、彼の宣誓の後で、あの荘厳な約束が為された後で来たものである。そのことに我々が議論するのは無益である。すぐに次のことが我々に言われるだろう:人よ、あなたは間違っている。神は馬鹿にされない。アレクサンドロスの諸々の書物から紡ぎ出されたいかなる三段論法も神には役立たない、と。私の兄弟よ、あなたがポリュフュリオスの手引きに服したのは不幸なことであったと私は思う。信仰のないあの男は、あなたを何へと手引きしたのか。それが彼の今いる場所であるなら、それは、嘆きと歯軋りのある場所である。なぜならそこには、背教者と神の敵たちが住んでいるからである。そしておそらく偽証者もそこに行くだろう。