さて私は、一種の余談の後で、私が提示した事柄に戻ることにしよう。そしてそのために、その論文[1]に言及する必要があった。私は次のことを証明したい:彼が偽証を合法的なものと見なしており、その偽証が彼自身の諸著作の中にも見出されることを気に掛けていないということ。彼はその同じ論文の中で、世俗の文学作品を研究することは間違っていることを読者に警告し、次のように言う:『ホラティウスと詩編にどんな関係があるのだ。ヴェルギリウスと諸々の福音にどんな関係があるのだ。キケロと聖パウロにどんな関係があるのだ。あなたの兄弟は、もしもあなたが偶像の神殿内で食卓に着いているのを見たら、腹を立てないだろうか[2]』と。そして、同様のことをさらに多く述べた後で――その中で彼は、キリスト教徒は世俗の文学作品の研究に一切関わるべきでないと言明している――、彼に神的に与えられた啓示、しかもその主題に関する数々の恐ろしい脅迫に満ちた啓示を報告している。彼は次のことを報告する:すなわち彼は、世俗を捨てて神に向かった後でも、世俗の諸々の書物への愛にしっかりと捕まえられており、それらへの熱望を捨て去りがたかったと[3]

 突然、私は、霊の内に捉えられ、裁判官の裁きの席の前に引き出された。その場の光はとてもまぶしくて、周りに立っていた人たちもとても輝いていた。そのため私は、地に身を伏せて、敢えて見上げることはしなかった。私は誰で、何を職業としているのだと尋ねられ、「私はキリスト教徒です」と答えた。しかし、座長をす留める人は言った:「あなたは嘘をついている。あなたは、キケロの追従者であって、キリストの追従者ではない。なぜなら、あなたの財宝のあるところに、あなたの心もあるだろうから」と。即座に私は言葉を失った。そして鞭打ちの数々の打撃のただ中で――なぜなら彼は、私が鞭打たれることを命じたからである――、私は、良心の呵責によってさらに苦しめられ、「墓の中で誰があなたに感謝するだろうか[4]」という一節を思い浮かべた。しかしそれにもかかわらず、私は泣き叫び我が身を悲しんで言った:「主よ、私を哀れんでください。私を哀れんでください[5]」。数々の鞭打ちのただ中で、その叫びはますます高くなった。遂に傍観者たちが、座長を務める人の前に跪いて、私の若さに免じて、私の誤りを悔いる余地を私に与えるように嘆願した。もしも私がふたたび異教徒たちの諸々の作品を一度でも読むならば、さらにひどい拷問を私に科せばよいと、彼ら訴えた。そのような身の毛もよだつ時間の下では、私は、さらにそれ以上に大きな数々の約束を進んですべきだった。そこで私は、誓いを立て、彼の名を呼んで言った:「主よ、もしも私がこの世の諸々の書物を再び所有するな、あるいは、もしも私がそのようなものを再び読むなら、私はあなたを拒んだことになります」と。この誓いを立てると、私は退去させられ、上方の世界に戻った。



[1] この論文は前節で言及された。

[2] 省略。

[3] 省略。

[4] Cf.Is.38,18.

[5] Cf.Mt.20,30-31.

 

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