彼は、ローマに住んでいたとき、童貞性の保存について一綴りの論文を書いた[1]。ところがそれを、すべての異教徒たちと神の敵たち、すべての背教者と迫害者たち、そしてキリスト教的な名称を肉もその他のすべての人が、互いに競い合って筆写した。なぜならそこには、我々の間のすべての階層の人たちに対する、キリスト教徒であると告白し自称するすべての人たちに対する、要するに全教会に対する悪名高い数々の非難と不快な叱責が含まれていたからである。さらにこの男が、次のように言明していたからである:すなわち、異教徒たちによって我々に帰された数々の罪は、以前は教義であると考えられていたが実は真実だった、しかも我らの人民たちによって、いま彼らのせいだと告発されている諸々の事柄よりも悪い諸々の事柄が行われたと。先ず彼は、童貞者たち――彼は、彼女らの徳について書いている公言する――を誹謗し、彼らについて次のように語っている[2]

 『彼女らの幾人かは、自分たちの衣服を変えて、男とたちの衣服を身につけ、彼女らが生まれ落ちた性を恥じている。彼女らは自分たちの髪を短く切り、去勢された男たちの破廉恥な目つきで頭を上げる。ある人たちは、山羊の毛でできた上着を身につけ、頭巾を体裁よくかぶり、角が生えやフクロウたちと夜鳥たちのようになっている――あたかも彼女らが再び赤ん坊になったかのように』。

そのような中傷やもっと悪い中傷は、その書物の中に非常にたくさんある。彼は未亡人たちさえ容赦しない。実際、彼は彼女らについて語っている[3]:『彼女たちは、腹部とその次にある物にしか気にかけない』と。その他にも彼は、その種の卑猥な言葉を多く付け加えている。単身者たちの種族全体に関して、彼がひどい悪口でもって彼らを攻撃している数々の段落を引用すると長くなる。彼が司祭たちと助祭たちに加える数々の見苦しい攻撃を詳述するのさえ恥ずかしい。しかし私は、その乱暴な罵詈雑言の端緒を与えることで、彼がその罵詈雑言の最終段階でどのよう境地に達したかを、あなたが容易に想像できるようにしてみたい。彼は言う:

 『私自身の修道会の中には、婦人たちに会うためのより多くの許可を得るために、ひたすら司祭や助祭の役務を求める者たちがいる。彼らは、身だしなみを善くし、よいにおいがするようにし、自分たちの足が弛んだり膨らんだりしないようにすることだけに気を配っている。彼らの巻き毛には、パリッとしたアイロンの跡があり、彼らの諸々の指は、数々の指輪で輝いている。そして彼らは、道の僅かな泥でも足にかかることを恐れて、つま先で歩く。もしもあなた方が彼らを見れば、あなた方は彼らを、聖職者たちというよりも、むしろ花婿たちだと見なすだろう』。

 続けて彼は、その数々の非難を、我々の司祭たちと奉仕者たちに浴びせる――彼らの数々の犯罪というよりも、むしろ彼らの数々の過失を具体的に挙げながら。彼は、不名誉であるばかりか、決定的に嫌悪すべき明かりの下で、既婚の婦人たちに会いに行く許可が彼らに与えられていることを描写する。そして彼は、キリスト者たちの種族全体を嫌みに満ちた中傷でぼろくそに言った後に、やがてあなたも聞くように、彼は自分自身さえ容赦しない。



[1] 省略。

[2] 省略。

[3] 省略。

 

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