しかし、私はあなたを私自身の説明で飽き足らせ、私の見解を破門の言葉によって支持したのであるから、さらに次のことをあなたに明らかにしたい:彼が所属する幾つかの狂乱的な祭儀と秘儀的な数々の結社の中で、偽証が正会員たちや準会員たちによって実践されていることを、彼自身が言明している。『あなたは、彼らの諸々の実によって彼らを知るべきである[1]』という言葉は、我々の神の確実でもっとも真実な言葉であり、『木はその諸々の実によって知られる[2]』という言葉もそうである。実に彼は、私がその偽証の教説を受け入れていたと言う。そこで、もしも私がそれの実践のために訓練されており、その悪い木が私の内部にその諸々の根を下ろしているなら、それに対応して諸々の実が私の上に育ち、私が私の周りに秘密の会員たちを集めて何らかの結社を結成することは、確かに可能だったろう。彼が彼の書く一切によってひたすら傷つけようとする私に関して、私は私自身に対して証言するつもりはないし、反証する数々の必要があると言うつもりはない。なぜなら私は、思慮分別によってでないにしても、臆病によって非難を避けたいと願っているからである。とにかく、もしも私がその要請に従うようなことになれば、私は私の誤りを認めることになろう。したがって私は、このことを自負するつもりはまったくない。私が間違いを犯していようが、思慮分別によって振る舞っていようが、彼は、私を断罪するための手掛かりを私の行動の内に決して見出すことはできない。それに対して私は、彼がこの偽証の教説を抱いているばかりでなく、この卑劣な悪徳を神聖な義務として実践していることを、彼の諸々の著作から次のことを示すことができる。私は、彼が私に対して行ったように、悪意によって何事かをでっち上げ、彼になすり付けることはしない。私は、彼と彼の諸々の著作を、彼に対する証人として引き合いに出すつもりである。それは、彼の敵たちが彼を非難するのでなく、彼が彼自身を断罪していることを明らかにするためである。



[1] Mt.7,16-20.

[2] Lc.6,44.

 

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