我々は、私の敵対者がみずから選んだあの諸々の注解の中で、そのことに関して何と言っているかを見ることにしよう。彼は、第二書で、「ですから、嘘を言うのをやめて、いかなる人も自分の隣人に真理を語るべきです。なぜなら私たちは、互いに(一つの)体の一部だからです[1]」という言葉を注解して、彼は次のように言っている:

『それゆえ、完全者たちの一人であるパウロ自身が、別の書簡で、「私たちは、完全な人たちの間では知恵を語る[2]」と言っている。したがって次のことは命令である:神的な真理に満ちた諸々の奥深い秘密の事柄は、それぞれの人によって自分の隣人に語られ、「昼は昼に、夜は夜に知識を示す[3]」ようにすること、すなわち、人は、自分が知っているすべての明晰で明澄な諸々の真理を、「あなたは世の光である[4]」という言葉が相応しく向けられる人たちに示すこと。他方で彼は、闇に呑まれ諸々の象徴の霧に包まれたあらゆる事柄を、霧と闇そのものである他の人たちに示すべきである。彼らについては、「そして彼の両足の下には――もちろんそれは、神の両足の下には、ということである――闇があった[5]」と言われている。実際、シナイ山の上でモーセは、神がおられた旋風と霧の中に入った。そして神について、「彼は闇をご自分の秘密の場所にした[6]」と書かれている。このようにして人はそれぞれ、自分の隣人に真理を神秘の内に語るべきだが、「聖なるものを犬どもに与えたり、自分の諸々の真珠を豚のどもの前に投げたりすべきでない[7]」。むしろ、真理の油を塗られた人たちを、配偶者の花嫁の部屋の中に、王の内奥の聖所に導きいれなければならない』。

 どうか、ご覧になっていただきたい。注意深くご覧になって、この段落全体において、彼以外の他の誰かに断罪が下され得るかをお考えください。もしも彼の敵対者たちが彼を、その書いたものに基づいて断罪し滅ぼす機会を探しているなら、他のどんな進路を取るだろうか、他のどんな証言を彼に対して引くだろうか――彼があたかも他の人に対して抗弁するかのように彼自身に対して引いた諸々の証言以外に。もしも彼に対して断罪することが求められるなら、彼自身の書簡で十分だろう。あなたは、その人名を変えるだけでよい。告発の試金石は、まさに彼自が最適である。彼が一方で我々に断罪せよともめている事柄を、彼は他方で従うように我々に求めている。彼は、自分が主張することを非難している。彼は、自分が嫌うことを行っている。彼に従い彼を手本とする彼の弟子たちは、どれほど幸せであるにちがいないか!



[1] Ep.4,25.

[2] 1Co.2,6.

[3] Ps.19,2.

[4] Mt.5,14.

[5] Cf.Ps.18,10.

[6] Cf.Ps.18,12.

[7] Mt.7,6.

 

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