私の弁明の第一書で私は、彼が不正にも他の人たちに向けようとする教説の誤りに関する諸々の非難――彼は、彼自身の証拠を持ち込むことによって、それらの非難を彼自身に差し戻している――を扱った。第二書では、私は信仰の諸論争に関係する諸々の事柄を解決し片付けたのであるから、私はより自信を持って、彼の非難の他の諸々の項目についても彼に答えることができるだろう。なぜならもう一つ、非常に重大な非難があるからである。それは、先の非難と同様、真理の大鎌で切り倒されねばならない。それは次の通りである:すなわち彼が言うには、或る人たちがある偽証の秘密結社においてオリゲネスに連なった。その加入儀礼の諸々の形態は、彼の雑録の第六書に見出される。そして、その奥義は、彼を除いていまだかつて誰によっても探知されていない、と。もしも私が、そのような偽証の秘密結社とはまったく無縁であると誓って言うなら、私は彼の嘲笑を惹き起こすだけだろう。私が真理の開示に到達するためにたどる道はもっと直接的である。すなわちそれは、私がそれらの書を決して所有したこともなければ、それらを読むために他の人たちから借りたこともないということを証明することによって――それは私にとってまったくたやすいことである――である。私は、私には意味のわからない非難から自分を守ることができない。そればかりか、何であるかも存在するかどうかも私が知らない事柄が、どうして私に対する非難の的になるのか、私には分からない。私が知っているのは、次のことをオリゲネスが書いたか彼の弟子たちが主張したと、私の告発者が言明していることだけである:すなわち、()文書が「彼は自分の隣人とともに真理を語った[1]」という言葉は、加入儀礼を受けた人、つまり、その秘密結社の一員という意味での隣人にのみ当てはまる;そして、「我々は、完全者である彼らの間で知恵を語る[2]」という使徒の言葉と、「聖なるものを犬たちに与えてはならないし、あなたの諸々の真珠を豚たちに投げてはならない[3]」というキリストの言葉はすべての人に真理が伝えられるべきではないということを意味していると。



[1] Cf.Ep.4,25.

[2] 1Co.2,6.

[3] Mt.7,6.

 

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