41 あなたは、いかにして彼が、それらの意見を、ある人たちによって秘教的な神秘の一種と見なされている事柄として描写しているかが分かるだろう。もちろん彼は、我々が再三にわたって明らかにしたように、そのような人たちの一人である。彼はただ、その秘伝の覚知に付けられた数々の非難をかわすために、そのような話法を使っているのである。この問題の真相がどのようなものであるかが、あなたには分かるだろうし、彼もそれを我々に教えてくれるだろう。あなたなら、すべてのものが最終的に一つの状態に回復され、再び一つの体に作り直されるという見解を私に帰そうとは決して考えないだろう。どうかそれを私に帰さないように、私はあなたにお願いする。もしも私が、ある見解が別の人間のものだと言ったなら、それを別の人の見解だとしていただきたい。もしもある意見が、「別の人」を投入することなしに書かれているのを、あなたが後ほど見出すなら、あなたが、それを私に帰すのは正しいでしょう。いったい何を。我々は、そのことに関してどうにか手に入れた一切の騒動の実りを失うことになるのか。そのようなことは、厚顔無恥の為せる業である。しかし、それは、彼のよしとするままにさせておこう。私は問題の真相を脇に置いて、彼自身の言葉使いを受け入れよう。しかし、それでも彼は、断罪されるだろう。私は、いま取り上げている問題について、それらの注解の第二書を参照することにしたい。それは、『霊の一致を平和の絆の内に保つことに精を出すこと。一つの体と一つの霊があります――あなた方が、あなた方の召し出しの一つの希望の内に召し出されたように[1]』に関わっている:

『ここで、どのようにして我々の召し出しの一つの希望が存在し得るかという問題が生れる。なぜなら、父の家には多くの住まいがあるからである。それに対して、我々は次のように答える:天の国は、我々の父の唯一の家として、我々の召し出しの一つの希望である;しかし、一つの家の中に、多くの住まいや部屋がある、と。なるほど太陽の栄光と、月の栄光と、諸々の星の栄光はそれぞれ異なる。しかし、もっと深い意味が存在し得る:すなわち、世の完成において、すべてのものがその始原の状態に回復される。そのとき我々は、一つの体として作られ、再び完全な人間に形成される。こうして、救い主の祈りが我々の内で成就されるだろう:『父よ、私とあなたが一つであるように、彼らも我々の内で一つになるようにしてください[2]』と』。



[1] Ep.4,3:訳者(朱門)は直訳している。

[2] Jn.17,21.

 

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